2010年07月29日
麦わら帽子の午後三時・・・アキラのこぼれ話
ランドセルを背負わないで学校へ行く事がなんだか楽しく
嬉しかった。でもいつもの登校時間よりも二時間近くも早い
時間。通学路でいつも門が閉まっている家の前を見慣れない
老人が掃除しながら「おはよう。」と私に声をかける。
”おじいさんが住んでいたんだ....。”
夏休みの学校。早朝の学校でのラジオ体操。第二の番になると
上級生は笑ってる。 ”何を笑ってるんだろう...。”
ラジオ体操が終わると首からぶら下げていた紙にスタンプを
押してもらい、家に戻り、午前中の涼しいうちに机に向かい、
宿題に取り組んだりスケッチブックを開いて飛行機やクルマや
戦艦の絵をかいたり....。
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お昼ごはんを食べていると外から友達が私の名前を呼ぶ。
”あッ、まあちゃんだ。”急いで食べて出掛けようとする私に
「そんなにあわてないの!」と言う母親は、そのあと必ず、
「帽子をかぶって行きなさい!」と続けて言う。
YとGが重なったジャイアンツの帽子か麦わら帽子か、どちらかを
かぶって外へ飛び出す。遠くから「スイカ冷やしておくから、後で
友達もみんな呼んで来なさい。」という声が聞こえる。
パークサイドハイツの裏の丘の草むらの中に作った秘密基地に
行ったり、セミを捕まえたり、アゲハを追ったり、笑いながら走り、
転び、みんなで歌い、少しケンカしたり...。
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汗びっしょりのみんなで肩を抱き合いながら家に戻ると、庭の
縁台にスイカが並んでいた。
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「ミーン、ミーンミン」セミの声が急に大きくなる。縁台の下を
時折涼しい風が通り抜ける。スイカを食べながらまだ麦わら帽子を
脱いでいない事を友達が笑う。
あー、ずっと子供でいたいなぁ...。ずっとこうしていたいなぁ..。
東京や横浜にもまだ土がたくさん残っていた時代。塾なんかに誰も
通わなかった時代。少年の時代。大人も子供も笑顔がいっぱいだった
時代。
そばにあった麦わら帽子の懐かしい香りがそんなちょっぴり昔の
夏を思い出させる。
午後三時の昼寝は少年だった私の昔の夏をちょっぴり思い出させて
くれました。
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ラジオ体操 第二。さて今でも間違える事無く、覚えているだろうか..。
投稿者 sweetroad : 15:08
2010年07月22日
夏の楽曲・・・アキラのこぼれ話
ゲリラ豪雨で各地に被害を出した梅雨も明け、猛烈な暑さの
本格的な夏がやって来ました。
猛暑日の続く毎日、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
暑くてなかなかブログも進みませんが、今回は70年代当時
から現在に至るまで、私がとても気に入っている楽曲について
少し書きたいと思います。
1970年代グラムロック、アートロックのブライアンフェリー
はストーンズのミックジャガーの放つ不良の香りとは違う「危ない
怪しさ」みたいな香りを持っていました。ソロとして発表した、
”アナザータイム アナザープレイス”は当時私は本当に良く
聴きました。
70年代の英国のロッカー達は誰しもが自分のスタイルを持って
いましたが、このアルバムジャケットに写るブライアンフェリー
の姿は当時の私の「男はこうありたい。」という思いを具現した
物でした。
プールサイドのパーティと思われる場面に白いディナージャケット
で立ち、胸には赤いカーネーション。長いタバコとグラスを
持って....。
そして何と言っても、これに収められた楽曲がイイんだよナァ..。
スタンダードナンバー。「煙が目にしみる」と「ユー アー マイ
サンシャイン」。
当時の私はガールフレンドとデートする時は必ずこのテープを
連れて行ったものでした。
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夏の少し暗くなりかけた、首都高横羽線とか多摩堤通りを走って
いた時も、この2曲のおかげで「好きだヨ..。」なんていう台詞
も本当にさりげなく、声を上ずる事なく言えたものでした。
時は流れ、夏の夕方、さあ今日はガールフレンドとのデートです。
昔ながらの、決めのCDは用意しました。クルマの準備も整い、
さて今日は何を着て行こうが、なんて悩むけどそれもまた一つの
楽しみです。
でも着る物なんかで悩むことは無い、だってキミと一緒なら
「違う時でも、違う場所でも」 ”アナザータイム アナザー
プレイス”....。キミと一緒ならボクは幸せ...。「いつでも
どこでも..」 ”ANOTHER TIME ANOTHER
PLACE”
あまりの暑さの為、後半は私の得意の妄想入りました....。
投稿者 sweetroad : 14:25
2010年07月15日
お中元を贈る・・・アキラのこぼれ話
今年もいよいよ夏本番を迎え、お中元のシーズンになりました。
最近は虚礼廃止とかで、お中元、お歳暮は勿論、年賀状や暑中
見舞いも出さない人が増えている様です。
しかし、この時期、お中元の制度は止めちゃいけないと私は
思うのです。これをやる事によって自分が大人の仲間入りをした
んだ、という自覚を持ち、自分は正しい社会を生きているんだ、
という確信を持つのです。
「あぁー、とうとうオレもお中元を貰う(あるいは贈る)立場に
なったぞぉー。」という思いに浸れる。だから止めちゃいけません。
それに世の中には自分で買う物じゃなく、貰った方が嬉しい物が
確実にあるのです。
例えば、詰め合わせ物。普段の買い物では詰め合わせなんて絶対に
買いません。だから嬉しいのかもしれません。
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まずは石鹸の詰め合わせ。夏のお中元の王道は石鹸でしょう。それも
固形のヤツ。だって普段は買いませんから。家でボディーソープが
切れた時、「そういや石鹸あったよな、貰い物が...。」と物入れを
探し、その石鹸の箱を開ける時の喜び、まさに王道です。
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次はお茶の詰め合わせ。紅茶でも緑茶でも、とにかく茶葉はイイです。
飲んだ時に、アレッ?とか今一つでも、きっといいお茶なんだから
これは淹れ方が悪いんだ、なんて思ってしまい、そのお茶のせいになる
事はめったにありません。だからお茶はお得です。
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コーヒー簡単ドリップセット。奥さまや彼女が毎朝コーヒーを淹れて
くれる人はいいのですが、私の様にそうじゃない場合は ”ドリップの
器洗わなきゃなんねえし..”とか ”手間かかるし..”とか、コーヒー
一杯の為に大変な事になります。でもインスタントじゃなぁ...。
それよりもパコッと開いて、カップに乗っけてお湯をドォーと注ぎ、
終わったらゴミ箱へポイッ。忙しい朝はこれでしょう。嬉しいです。
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缶物詰め合わせ。これはもうビールでもジュースでも缶物ならなんでも
嬉しいです。自分で買って持ち帰るには重いから。サラダ油なんか特に
そうです。スーパーで買って自分の手提げには入れたくないっすもん。
だからお中元には缶物。運ぶ手間が省ける、もうそれだけで嬉しいです。
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そして乾麺類。そーめんとか冷麦とかソバ、うどんの類の乾燥麺類。
これも嬉しいです。理由は無く、ただ私が好きだから。
とまあ、他にも心温まる物があると思いますが、今の人達はこういう物
ではなく、金券とか商品券を贈る事が多い様です。荷物にならないから
でしょうか、それとも相手の好みを考えなくてもいいからでしょうか?
でもこれってほとんど現金のやりとりに近い気がします。なのに現金だと
問題になったりするのに、商品券だとOK。不思議です。
いろいろ言いましたが、皆様も是非、このお中元制度を見直して欲しいと
思います。結構センスが大事です。
冒頭にも書きましたが、お中元を贈ればきっと ”あいつも一人前の大人
になったなぁ..。”と思われることは請け合いですから。
とりあえず、お中元に引っかけ、私の今欲しい物をあげつらっておきました。
よろしくネ!
投稿者 sweetroad : 14:36
2010年07月08日
リーダーを選ぶ・・・アキラのこぼれ話
今週の日曜日、七月十一日は参議院選挙の投票日です。
皆様におかれましては、候補者及び政党はもうお決めになった
でしょうか?それとも私と同じ様に、すでに期日前投票を
済まされた方もいらっしゃるでしょうか?
今回の参院選の様に近未来の日本に影響がありそうな選挙の
時期ですので、今回は国や企業やチームにおける、リーダー
について少し書いてみようと思います。
国を治めるにあたってのリーダーといえば勿論、総理大臣で
しょうし、会社を運営するリーダーはCEOとか社長という
ことになるでしょう。又、チームを率いるリーダーはやはり
監督になるのでしょう。
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いずれにしても、私達はこれらのリーダーに率いられながら、
日々生活をしている訳です。
人格や見識の優れた人物が、人々を納得させながら、やるべ
き事や又その一歩先を指し示し、働く意欲や生きる意欲を
かきたてる。
端的にいえばこれがリーダーシップでしょう。
しかしながら政治の世界でも企業においても、今の日本では
このリーダーシップが失われてきています。
将来に対する漠然とした不安を国民の大多数が感じているにも
かかわらず、ここ4~5年で総理大臣が四人も五人も入れ替わり、
一体我々はどこに向かっているのか全く見えない今の日本の
現状では人々が不安になるのは当たり前だと思います。
リーダーシップを執れる人間が少なくなったという事でしょう
が、なぜこうなったのでしょうか?
人間は放っておけば短時間で成果が見える事をやりたがり、
そして評価されようとします。しかしそんなその他大勢とは
一線を画し、常に遠い先を見据えているのが本当のリーダー
だと思うのです。
五十年後の日本を、十年後の会社をどうデザインしていくのか。
長い目で考え、目立たぬ努力を重ねる。そういう先導者が昔は
確かにいたのです。
しかしながら今の日本ではリーダーシップを発揮すべき人達が
忙しくなりすぎていると思うのです。政治家も企業のトップも
みんなチマチマした雑用に追われ、時間の刻み幅がすごく小さい
のです。つまり大切な事を考える時間を与えられていないのです。
リーダーと呼ばれる彼らを我々は決して忙しくさせ過ぎては
いけないのです。
アメリカのオバマ大統領は就任直後、記者会見をやりすぎて
失敗したと言われています。発言が増えすぎて重みがなくなり、
リーダーシップを損なったとも言われていました。
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どんな世界でも責任者に語らせる事も必要だし、失敗したトップ
には責任を取らせるのは当然の事だとおもいます。
しかしいつもリーダーを引っ張り出し、彼らの時間を奪い、首を
すげ替え続けていたら、世の中は、社会は、秩序と安定を失って
いくばかりなのです。
社会が国のリーダーとなる人材を育成し、リーダーに選んだ人材
には充分に考える時間を与えて、じっくり仕事をしてもらう。企業
でも同じです。
先人達はそういうリーダーの作り方と使い方をしていたのです。
混迷を極める日本の政治や、中国等に追い詰められアタフタする
日本の経済を見ていると、我々自身が強いリーダーを作らなければ
いけないと痛切に感じる今日この頃です。
投稿者 sweetroad : 14:27
2010年07月01日
トレーニングを重ねる・・・アキラのこぼれ話
トレーニング.....。
今の私からは想像できないかも知れませんが、昔、私は
割とトレーニングするのが好きでした。
人から強制されてやるのは嫌いですが、自分で決めた事は
自分の出来る限り、いっぱいいっぱいまで極めてみたかった
事もいろいろありました。
クルマの運転が上手くなりたい、ギターが上手く弾ける様に
なりたい。あれもこれも、絵が上手に描ける様にもなりたい
し、字だって上手くなりたい。ずっとそう願って生きてきま
した。
好きな事に夢中になって、繰り返し繰り返し、反復練習をして
スキルアップしていく、そのプロセスがきっと好きだったん
だと思います。
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若い頃の私は、何一つ上手く出来ない自分の無能さにイライラ
し、焦ってもいました。
上手く出来ない事が悔しくて、ただ上手くなりたい一心で、
トレーニングを重ねたものでした。
もう決して若いとは言えない年齢になった今、周りから見た
私はもしかして、ひょっとしてスキルアップも出来、割と
自信に溢れている様に見えるかも知れません。
しかしながら私はそうやって必死になってトレーニングを積み
重ねて、ようやく出来るようになった事がやがて、ひとつまた
ひとつ出来なくなりつつあることに、今度は焦りを感じ始めて
いるのです。
視力がだんだん落ちて行く。聴力だって同じです。もう二日も
三日もぶっ通しで徹夜なんてとてもできない。
でもそれは仕方がない事なんだと思うのです。
若い男というのは、私もそうでしたが、無能でブザマなもの
ですが、しかし彼らはトレーニングを重ねることによって
得られる達成感を若い今だからこそ、感じとる事が出来るの
です。
経験値の豊富な成熟した男はいろいろな事を知っているし、
なんでもスマートにこなしたりもしますが、それはやがて少し
ずつ、少しずつ衰えて行き、出来なくなって行くのです。
だから自ら出来る時には、必死でトレーニングを重ね、少しでも
スキルを積み上げておくことが、とても大事な事なのです。
それを怠けて生きて来て、年齢だけを積み重ねた男は、無能で
ブザマなまま衰えて行くばかりなのだから..........。
最近私が感じている事のモノローグでした.......。
投稿者 sweetroad : 16:46
2010年06月24日
デザインについて考える・・・アキラのこぼれ話
今回はいつにも増して大そうなテーマです。そして大雑把な
テーマです。
”物の選び方において、機能や使いやすさよりまず初めにデザイン”
これ、私の物の選び方です。
世の中に数多存在するプロと呼ばれるデザイナー達は、いろいろ
と勉強してデザインをします。そうしてデザインした物を発表して
それが売れて、賛同する人が多い程、そのデザインは素晴らしい
という事になるんでしょうが、それってどうなんでしょう、本当
でしょうか?そんなに単純に考えていいんでしょうか?
物に対しての考え方は人それぞれ違う訳です。私は何々のデザイナー
がデザインした物でございます、みたいな物は大嫌いです。
そして最近では芸能人やタレントがデザインしたブランドとか、
女子高生達のデザインによるブランドとかが出てきたりして、一体
デザインって何? もう何だか訳が解りません。
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過去のブログでも何回か書かせて頂いた様に、出来ることなら私は
気に入ったデザインのカッコイイ物に囲まれて暮らしたいのです。
その方が気持ちイイに決まってるから。
じゃあどんな物が私の考えるグッドデザインなのか?
そうすると出てくる答えはやっぱり ”味のある物”とか ”枯れた
物”なんだと思うのです。
以前、ポールスミス氏がデザインについて聞かれた時、
「コンピューター制御のサウンドシステムや照明などのコンサートより
アンプ二つだけのほうがいいネ。デザインや服も同じ。ハンドメイドが
理想だね...。」
という様な話をしていました。...うーん、やっぱりネ....。
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物が便利になり,軽い、小さい、綺麗、壊れない、腐らない、といった
物がどんどん増えています。例えば最近のパソコンや携帯電話なんか、
誰が持っていても誰が使っても同じ、新品も中古もそんなに変わりが
ありません。それより私は「味」にこだわりたい。
つまり、そこら辺にころがしておいても、絵になる物、そして磨かなけ
れば錆びていく物、使い方によってはヘコんだりグラついたりする物。
プラスチックやカーボンの時代に鉄やアルミなど.....。
要は正しく一年一年歳をとっていく物の事なのです。そして歳をとったら
キチンとしたシワのある老人を目指すという事なのです。
これが私の ”味のある物”に対しての定義なのです。
こういった味のある物は当然、古い物が多い訳ですが、しぶとく生き残っ
ている。その理由は、おわかりの通り、イイ物は時代を越えて生き残ると
いう事なのです。たとえ、ミサイルが街を破壊しようとも生き残るでしょう、
たぶん...。
そりゃあ、最新物に比べれば多少は実用性に欠ける所はあるかもしれません。
でもね、その最新物だっていずれはもっと新しいテクノロジーに駆逐されて
しまう事を思えば、いいとこ五十歩百歩なのです。
また、そんなに古くない物でも、あんだけ世の中にいっぱいあったのに、
誰も認めてくれなくて在庫が大量に余っちゃった様な物とか、逆に、何で
この商品作るの止めちゃったんだろう、とか 続けてれば良かったのに、
なんて思わせる物にも、妙に私は惹かれたりするのです。
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そう、万民が認める物でも全然欲しくない物や、誰も認めてないけどすごく
欲しかったりする物が私にはあるのです。
そしてカッコ良さの解りやすい物より、解りにくい物。
”これの良さはオレしかわかんネーだろ。”みたいな事に選択肢を持って
いく快感も私にとってはデザインに対する重要なポイントだったりするのです。
つまり、クルマにしたって時計、洋服、靴、メガネも同じ。私はまずはデザイン
からなのです。
デザインが良くてそれに味があれば古いとか新しいとかは関係ないのです。
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前回及び、過去2~3回のブログは、私の過去にあった話を記憶だけを頼りに
書いたので、とても疲れました。ですから今回はサラッとこれぐらいにして
おきます...。
でも決して手抜きではありません。
投稿者 sweetroad : 15:53
2010年06月17日
記憶の池・・・アキラのこぼれ話
人にはそれぞれ記憶の池みたいな物があって、その中に忘れてしまいたい
思い出や忘れられない思い出、又自分ではもうすっかり忘れ去ってしまった
と思っていた記憶までもが、その池の底に沈んでいて、時おり泡の様に
ポツリ、ポツリと浮かんで来て、又それらを思い出したりする。
昔読んだ本に、こんな事が書いてありました。
私がもう完全に忘れ去っていたと思っていた出来事で、最近急に思いだされて
とても不思議だった事を今日は書いてみたいと思います。
それは私が大学三年の時、正月が過ぎ大学の授業も始った一月の十日頃の
冬のメチャ寒い日の事でした。
当時私は応援団に入っており、その日は一年に一度、正月明けに行う、寒稽古
の日でした。朝六時に団室前に集合し、それからすぐに中野区の公園まで片道
5~6㎞を走って行き、そこで腕立て、腹筋といった一通りの体力練習をこなし
八時頃に団室前に戻って来るという、二時間の寒稽古でした。
その頃の日本はまだ温暖化などとは全く無縁で冬は大変寒く、霜が降りて、霜
柱が立っている公園で腕立てや腹筋をする訳ですから、もうみんな泥まみれに
なり、その熱気と汗で団員達の体からは湯気が立ちのぼっておりました。
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ようやく団室前に戻り、集合がとけたのは八時五分頃でした。私はドロドロに
なったユニフォームを団室で学ランに着替え、学食へ向かい二回目の朝食を
パンで済ませ、”さて、こんなに朝早くからどうやって時間をつぶそうか”と
考えておりました。
”あれっ、そういやオレ今日の一次限目って授業とってたよなァ...”
すっかり忘れていましたが、九時から授業があったのです。しかしながら前年の
四月に履修してから一度も出たことの無い授業です。
”まあ、時間もあるし行ってみるかァ”
私は学食でパックのコーヒー牛乳を買い、ノートだけを持ってその授業の教室へ
向かいました。
まだ八時半頃の教室は学生が二人程いただけでガラーンとしていました。
それでも窓から入る冬の日差しとスチームの暖房が効いてとても暖かく、私は
窓際の一番後ろの席に座り、ノートとコーヒー牛乳を机の上に放り出し、学ラン
を袖も通さずシャツの上から羽織り、その暖かさと寒稽古の疲れからボーっとし
ウトウトしておりました。
「あらっ、○○君(私の名字)この授業とってたの?」
後ろの方から女性の声がしました。
「全然、出席してないんじゃないの?」
私は体は動かさず、首だけチョットそっちに向け、
「....ああ....」と答えました。
「あれッ、教科書は?」と彼女。
「...持ってねえよ...。」
めんどくせえ女だなァと思いながら私は、適当に返事をしていました。
「うそー。信じられなーい、試験どうすんの?」
「えっ、..試験かよ、いいよ別に単位とれなくったって...」
「でもこの授業、出欠関係なく試験だけで単位くれるんだよ。」
「...ああ、そうなんだァ...」
うるせえ女だなと思いながら、ようやく私は彼女の方に体を向けて返事をしました。
”あれッ、なんだよ、結構カワイイじゃん!”
そこには当時流行っていたワンレンの髪型にハマトラのファッション、クレージュの
BAGを肩から下げ、フクゾーのカーディガンを着て数冊の本を腕に抱え、ミハマの
靴を履いた、割と小柄な女子が立っていました。
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彼女は私の横の席に腰をおろし、
「よかったら、私のノート見る?コピーして使えば試験通ると思うヨ。」
初めて見た彼女が可愛かったので、私はさっきまでのめんどくささはどこへ、
「えッ、いいの、悪いじゃん。」
と機嫌良く答え、笑みまでこぼれてしまいました。
まあ頭の中では ”別に単位いらねェよ”と思ったのですが、あまりに親切だったし
可愛かったので、彼女の言う通りノートを借りてコピーさせて貰う事にしました。
「じゃア、ノートをコピーさせてもらう代わりに今晩、晩メシでもおごるヨ。」
「ホントー!うれしいー!!」
その授業のあと、私はノートを預かりコピーしてから夕方の六時に校門のところで
待ち合わせるという約束をしました。
”朝の寒稽古はきつかったけど、なんか今日はイイ日だなァ...。”
学生部でコピーをとりながら、私は一人ニヤけておりました。
六時まではいつもの雀荘で時間をつぶし、すでに来ていた彼女と校門で落ち合い、
二人で近くの居酒屋へ向かいました。
ビールで乾杯をすませ、一段落した時、私は彼女に尋ねました。
「あのさァ、何でオレの名前知ってたの?」
「だって、同じクラスじゃん。それに神宮球場でも良く見てたし...。」
「あれ、そうなの。オレは全然知らなかったヨ。こんなにカワイイ子がいたなんてサ」
事実、私は初めて彼女を見た様に感じましたし、どう思いだしても思いだせません。
”まァ、いいや.....。”
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彼女はM子といい、静岡の女子高の出身で大学の近くに一人暮らしをしているという
事でしたが、あとは何を話したか良く覚えていません。
そうしているうちに八時半を過ぎ、二人とも結構イイ気持ちになって店を出て、冬の
夜道を歩いておりました。
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「...○○君(私の名字)、もう帰る?」
「えッ、いいよ、まだ平気だよ。もう一軒行こうか?」
「..そうじゃなくて.....。」
「...ンッ..何?」と私。
「私、どっかで休みたい....。」
”うっそー、エェー、マージっすか?本当にこんな事あっていいのかヨー!”
私はビックリしながらも平静を装い、
「じゃ、じゃあ、ど、どっかで休もう。」といたってクールに返事をしましたが、
下半身はふくらんでおりました。
その日をさかいに私とM子は一週間位毎日逢い、まったりとした時間を過ごしました。
当時はケイタイなど無く、その日その日の帰り際に次回の約束をし、夢の様な一週間
がアッという間に過ぎました。
そしてまた、次の約束をしようとした時、彼女は
「ちょっと、予定がたたないから後で部屋へ電話して。」と言いました。
丁度、私もいろいろ予定があったので、それから2~3日してから彼女の部屋へ電話を
しました。”トゥルル..”呼び出し音が続きますが出ません。どっか出掛けているん
だな...。まあいいや。またかけよう...。
それから2~3日して又電話すると今度は ”ツー、ツー、”話し中でした。
そして又後日電話すると、やっぱり呼び出し音だけで、ついに彼女は出ませんでした。
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そうこうしているうちに私も忙しく、私の自宅にも電話はかかって来ませんでしたので、
すっかり彼女の事を忘れておりました。
ある日、私が同じクラスの友達と教室で話をしていた時、急にM子の事を思い出し、
聞いてみました。
「あのさァ、静岡の女子高出身のM子ってオレ達のクラスにいたじゃん。彼女最近
どうしてる?」
「エッ、...M子?誰だヨ、知らねえーなァ...。」
その友人は真面目に授業に出てる男だったので、知っているかと思ったのですが、
「ほら、ワンレンの、ハマトラの....ほら...。」
「だから、知らねえーって!」
私はキツネにつままれた様でした。他の友人にきいてもやはり知りませんでした。
”たしかにコピーもさせてもらったし、ごはんも一緒に食べて一週間位、毎日逢って
たのになァ...。””そうか....知らないかァ....。”
私は何か腑に落ちない感じでしたが、まあ学校に来ていれば、又逢えるかなと思って
いました。
しかし、その後四年生に進級し、そして卒業するまで不思議な事に私はもう二度と、
彼女に逢う事はなかったのです。
あれは一体何だったんだろう....。あれは誰だったんだろう...。
あれは幻だったんだろうか....。何かとても不思議でした。
私の記憶の池の底から一つの泡が浮かびあがって、パチンと弾け、
こんな話を思い出しました....。
投稿者 sweetroad : 16:40
2010年06月10日
EPISODE-2・・・アキラのこぼれ話
以前、EPISODE-1を書いた後、結構周りの皆さまから 2を
楽しみにしてますヨ、なんて言われていましたが、やっと2を書かせて
頂きます。
私としてはエピソードシリーズは古いクルマと私との楽しくもツライ
付き合いを書いたつもりでしたが、皆さまには、女に振られた話、と
いうふうに思われたらしく.....。
まぁそれでもいいや.....。
それは今から16~7年程前の、ちょうど今頃の季節、六月頃の出来事
です。その頃私はクルマを買いました。1973年式 メルセデス280CE
タテ目のクーペのオフホワイトを知り合いのクルマ屋から手に入れ、
速攻で腰より上のルーフ部分をネイビーブルーにペイントし、この
クルマに合うミシュランのホワイトリボンのタイヤを装着し、ミラー
を小さめのドアミラーに変更する様に注文を出し、納車される日を
今か今かと首を長くして待っておりました。
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待ちに待った納車の日、現われたクルマは思いのほか綺麗で私はその
オフホワイトとネイビーのツートンボディーに大満足しておりました。
六月の梅雨時期という事もあり、蒸し暑さの為エアコンを作動させても
リアから風の出る冷えの良くないタイプにもかかわらず、割と良く効き
これまた満足しておりました。
当時私が勤めていた会社は京急の平和島にあり、そこまで往復約30㎞
をこのクルマで通勤し始めていました。
わたしの家から第二京浜に出て、多摩川大橋を渡り、瀬田の環八の
交差点を右折し、蒲田の手前を左折して裏道を走り、そして右折して
京急の梅屋敷の踏切を渡り第一京浜に出て会社へ向かうという道順で
通勤しておりました。
満足していたとはいえ、やっぱり古いクルマですから乗っているうちに
いろいろな不具合も出てきました。エアコン入れたまま渋滞にはまると
水温が上がり、オーバーヒートしそうになったり、調子が出ない時には
エンジンの回転がバラついたり、割とヒヤヒヤしながら通勤していまし
た。 ”まァ古いクルマだからなァ...”
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そして七月に入った頃、この事件は起きました。
私はいつもの様にこのメルセデスで家を出て、いつもの様にダイヤル1242
ニッポン放送で高島ヒデタケの「おはよう中年探偵団」を聴きながら
わりと空いていた道をエアコンを効かせながら快調に走っておりました。
環八から蒲田を抜け梅屋敷の踏切まで来て、その踏切で列車待ちの為、
遮断機の一番前で止まっておりました。
3~4分も待ったでしょうか、列車が通過し踏切が開くと同時に、私は
クルマを発信させ踏切を渡ろうとしたその瞬間、ブブブブ..ストン。
踏切のド真ん中でまさかのエンストです。
私は焦りました。
”うわァー、ヤベーぞー。”
セルを回します。....クゥ、クゥ、クゥ、...。かかりません。
私の体中の毛穴から汗が吹き出しました。
再度セルモーターを回し続けますが、だめです、かかりません。
”うおー、どうすんだー、マジでヤバイぞ。”...そして
”カン カン カン ...”
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再び列車通過の為の遮断機が降りてきて、わたしはクルマとともに完全
に踏切内に挟み込まれ立ち往生してしまいました。
”ウソだろー、うわー、マジで死ぬかもしれない....。”
頭の中では発煙筒焚こうとか、車外に出て列車を止めようとかの想いが
駆け巡り私はもう完全にパニックでした。
その時です。必死にセルを回し続ける私に、後ろについていた3~4台の
クルマから一斉に人が降りてきて、一人が前の遮断機を手で上げ、あとの
2~3人が後ろからクルマを押してくれたのです。
丁度、押し掛けの様な格好になりエンジンがかかりました。
”ヨッシャー、行けェー!!!!”
踏切を渡り終わったその直後、
”プワァーン...”
警笛を鳴らした列車が猛スピードで通過したのです。
”うあー、助かったゼー....”
私は助けてくれた人達にクルマを降りて、すぐにでもお礼をしなくてはと
思ったのですが、ここでクルマを降りていったら、また絶対止まっちゃう
ぞ、という考えが瞬時に働き、クルマの中から頭だけを何度も下げ、良心
の呵責にさいなまれながらも、止まる事なくその場を立ち去ってしまった
のです。
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死にそうになっていた所を助けてもらったのに、お礼のひとつも出来ない
とは、全く犬以下の行動だと自分で思いました。
私はバックミラーの中の男達に、届かないとは思いながら
”どうも ありがとうー!”
と大声で叫び、腹の中で手を合わせました。
それからエンストしない様に慎重に運転し、会社までは辿りつけた訳ですが
我が愛車は即刻、入院となった事は言うまでもありません。
ということでエピソード-2は古いクルマの為、ついに生死にかかわる話
でしたが....まァ旧車乗りにはよくある事です.....。(泣)
次回のエピソード-3も又悲惨な話が.....。乞うご期待!
投稿者 sweetroad : 16:25
2010年06月03日
真紅の飛行艇・・・アキラのこぼれ話
サボイヤS-21,1920年代の終わり、美しいアドリア海を舞台に海と
空を駆け抜けた真紅の飛行艇です。世界恐慌の中、食い詰めたパイロ
ット達が空賊となりアドリア海を荒らしまわっていた時代です。豪華
客船を狙うその空賊達を相手に、名を馳せる賞金稼ぎ。イタリア海軍
退役パイロット、マルコ-パゴット中尉。自らに魔法をかけ豚になった
飛行機乗り。そうです、あの「紅の豚」のポルコ-ロッソです。
そして彼の愛機がこのサボイヤS-21なのです。あまりにピーキーで
操縦が難しく、ポルコだけが乗りこなせる飛行艇でした。
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先日、私が自宅を掃除していると、棚の奥から赤のギンガムチェック
の紙袋に入った、このサボイヤのプラモデルが出て来ました。箱に入
ったまま組み立てていないこのプラモデルを見た時、私は体が熱くなり
胸の鼓動がドキドキするのがわかりました。
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六年程前の十月頃、私は当時営んでいた店で友達を集めてパーティーを
やりました。その時来ていた女子の中にKちゃんはいました。来ていた
のは横浜高島屋の貴金属売り場の女子達で30歳前後の人達の中、彼女
だけが24歳でした。それまで、足首とウエストの太い女とは一線を越えた
事が無い、と自負していた私にとって、水川あさみに似た、足の綺麗な
彼女はド真ん中のストライクでした。
親子ほども歳の離れた彼女でしたが、パーティーの間中いろいろな話を
して、今度ごはんでも食べに行こうという約束を取り付けました。
とはいうものの、彼女の母親と同じ歳という私には彼女に対して、どう
したら喜んでもらえるか良く解りません。とりあえず何かを買ってあげ
たりプレゼントしかないな、という安直な考えで最初のデートに臨んだ
訳ですが、これが意外に好感触で、それからしばらくは週2~3回位は
彼女と夜食事に行く日が続いていました。
当時私が乗っていたシルバーのメルセデスのクーペに彼女は乗るのが好
きで、横浜の埠頭までドライブがてら食事に行き、そのあと私の秘密の
地下室に戻り、そこで一杯やりながら私の経験談や、たいして深くもない
知識でいろいろな話をしたりしながら、まったりした時間を過ごし、深夜
一時頃に彼女の自宅まで送り届けるというパターンも定着していました。
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都内のワンルームで一人暮らしをしている彼女は生活がいっぱいいっぱい
だと常々言っておりましたので、私は少しでも手助け出来ればと、時計
やブーツ、洋服などをプレゼントし、私の出来る範囲で彼女を喜ばせ、
又それが私の喜びでもありました。
三鷹のジブリスタジオへ行く程の宮崎アニメのファンだったKちゃんは
「紅の豚」が特に好きと言っておりましたので、私は冒頭に書いた様な
ちょっとだけ深い様な話を良くしたものでした。彼女は面白そうに聞き
入り、私もポルコファンの一人として熱っぽくしゃべったりもしたもの
でした。その頃はメールを送る時も私が「ポルコです。」と送ると、
「フィオです。(豚になったポルコを密かに慕う女の子)」とか返信が
あったりして二人だけのメールを楽しんだりもしていました。
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その年の12月、クリスマスイブの日、私達はいつもの様に横浜へ食事に
出掛け、私の地下室に戻り、スタンダードナンバーのCDをかけ、シャン
パンを開け乾杯をしました。”メリークリスマス”
私がプレゼントを渡そうとする前に彼女が
「ハイ。これ。メリークリスマス!」
と、赤いギンガムチェックの紙袋をくれました。中を開けてみるとなんと
ポルコのサボイヤS-21のプラモデルが入っていました。
私はその時、たかだか1000円位の物かもしれないけど、自分の生活で欲しい
物もあったろうに......。買ってきてくれたんだ...。
そう思うと私は彼女がいとおしくなり、本当に嬉しかったのです。
そのあと私は彼女に欲しがっていた毛皮のハーフコートをあげたのですが、
このプラモデルにはかないませんでした。
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そんな楽しい夢の様な日々を過ごし、年も明けたある日、いつもの様に
食事に行き彼女を自宅まで送って行った時の事でした。
深夜一時半も過ぎ、クルマを路上駐車させてオヤスミのハグをしていた時
のことでした。彼女が私の耳もとで
「...あのね....」 なんだか涙声でした。
「..ンッ..どうした?」
最近あった話を涙ながらに彼女がポツリポツリと話始めました。
以前私の店にも来たアラサーの彼女の先輩達に私とのつきあいに対して
「あんた、まだそんな事やってるの?いいかげんにしなヨ!」
みたいな事をよく言われている様なのです。
そりゃそうです、親子ほども歳が離れているんですから。
私はしゃくり上げる彼女に
「オレはサァ、前にも言ったけどKちゃんには幸せになって欲しいんだよ。
だから好きな人が出来たら言ってくれよ。それまではKちゃんが喜ぶ事
をしたいんだよ..。」
こんな身勝手な事を言う私に彼女は涙声で、
「でもね....。いつもそばにいてくれて、いろんな話をしてくれて、欲しい
物も買ってくれる人がそばにいたら、好きな人なんて出来っこないよ。」
と言ったのです。
私は言葉を失い、ただ彼女を抱きしめるだけでした。
それから数日たったある日、彼女から電話がありました。
「...あのね....」
彼女には一年程前に別れたスイス人の元彼がいて、その彼から連絡があって
久しぶりに会ったら、一緒になってスイスへ来てくれと言われたと言うのです。
ついに来るべき時がきた、という感じがしました。
「そうかァ...。オレ達も潮時なのかもしれないネ....。」
私は心にもない事を言いました。
Kちゃんは別の言葉を待っていたのか
「ェッ...。」と小さく呟き、「....うん.....」と言ったのでした。
その時私は彼女と彼の話はもう詳しくは聞きませんでした。
「まあ、元気でね...。幸せになるんだヨ!」
もし私が20歳いや、15歳若かったら私はすぐに彼女のもとへ飛んで行き、抱き
しめて離さなかったと思います。
「...うん。アキラさんもネ。...今まで本当にありがとう....」
そんなやりとりを最後に電話はどちらからともなく切れました。
私はやるせなさに体中が熱くなり、そのせつなさに何か大声で叫びたくなり、
そしてただただ、自分の膝を拳で叩くだけでした。
赤いギンガムチェックの紙袋に入った真紅のサボイヤS-21のプラモデル。
きっとこれからも組み立てる事無く、ずっと私の部屋にあると思います...。
投稿者 sweetroad : 14:49
2010年05月28日
お金にまつわる話・・・アキラのこぼれ話
ここのところ何回か、このブログで今の私達を取り巻く景気などに
ついて書かせて頂いておりますが、今回はその原点となるもの、
お金について書いてみようと思います。
世の中はこのお金がないと勿論生きては行けません。衣食住すべて
においてお金がかかりますから、お金は大事です。しかしながら
最近の日本人の拝金主義的な物の考え方には本当に辟易として
しまいます。私が子供の頃は ”あんまりお金、お金と言うんじゃ
ないよ。品が無いから!”と教えられたものでした。
1990年代初頭にバブルがはじけ、それ前後に生まれた人達は、親の
お金で苦労する姿を見て育ったせいか、若いのにこの拝金現象が
特に強い様に思います。
たしかにここのところ日本の景気は一向に上向かず、年金支給の
問題でもそうですが、我々が何十年か前に生活していた日本とは
随分違ってきており、先行きの不安がある事は大変良く解るのですが
お金イコール幸せ、という様な図式は私には到底理解出来ないのです。
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そりゃあ、お金がたくさんあれば、不幸になる確率は低いでしょう。
でも腐る程お金があったって、それで幸せになれるかと言えば、
そうとは限らないと思うのです。
私はお金とは、何かをする為とか、大事な物や欲しい物を手に入れる
為とかに必要なだけで、お金自体はただの紙で何の価値も無いと
思っています。つまりお金は使って初めて価値があるのです。
お金に対する考え方や価値観は、人それぞれだと思います。
私にとっては例えば、ブランド物のバッグが50%オフよりも、今晩
食べたいな、と思って買いに行ったコロッケをその肉屋のおじさんが
20円まけてくれた方がよっぽど嬉しかったりする訳です。
要はお金がその時その人にどう係わっているかが問題なのです。
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又、買い物をしている時でも ”それを買えばこれをサービスします”
とか ”こっちと合わせて買えばいくら引きます”とか、もし言われた
としたら、そういう事で喜ぶと思われたと感じた瞬間、もう私は
買いません。「相手見て、物言えよ!」 私は欲しかったら普通に
買うんです。
つまり、お金が全ての物差しで全てが判断できると思っている風潮が
私は何だかとてもイヤなのです。
私がクルマにお金を使う時でも、はたから見ればタイヤの一本取り換え
たり、オイルを高いヤツに交換したって、何も変わらないし誰も分らない
けど、自分が乗った時、すごく晴れやかな気持ちになる訳です。これが、
ここが、大事なのです。「俺なんかタイヤ取り替えて、最高のオイルに
交換して来たんだゼェー」って、誰もそんなの見てやしないけど、自分
が ”アー、幸せだなあー”って気持ちになれるのです。
お金はそういう風に使いたいのです。
冒頭に書いた様にお金は大事です。 ”金は天下の回り物”と先人は
言いました。日本の景気が上向かないまま何年も続いているのは、
それぞれがちまちま貯め込んでいる為とも言われています。
消費が進むという事は、販売先から生産者、そしてその材料を扱っている
末端までお金が流れて行き、その価値は何倍にもなり、それがまた流れ
流れて自分の元に帰って来るという事です。
すなわちその真逆がデフレスパイラルなのです。
とまあ、いろいろ言いましたが、お金は持ってる時に使うのが一番。
そしてたくさんのお金を使うにしても、精神的に豊かな使い方をしなければ、
幸せにはなれないのです。
お金を使う時は心が豊かになる様な使い方をしましょう。
投稿者 sweetroad : 19:19
2010年05月20日
デパートの今昔・・・アキラのこぼれ話
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つい先日、新宿の高島屋の12階にユニクロが入り、銀座の松坂屋には
フォーエバー21がなんと1~5階までの売り場に入って商品展開をして
いくというニュースがありました。消費不況の続く日本で、これら
ファストファッションと呼ばれる衣料品のチェーン店が、低価格と
スピードを武器に全世界から襲来し、もはやブームとしてではなく
すっかり定着した感があります。
しかしながらそういったファストファッションのニュース性でしか
話題にのぼらない最近の百貨店の凋落ぶりには、目を覆うものが
あります。
今回はそういったファストファッションや安売り店に頼り切って
何年にもわたって売り上げを落とし続けている百貨店について
書いてみようと思います。
何百年という歴史と伝統があり、どんな客でも笑顔で迎えて最高の
サービスをする。外観は普通の大きなビルだけど中に入るとその店独特
の個性溢れる一つの街になっており、衣食住すべてにおいて最高の
商品を取り扱っている。それが私が子供の頃からもっていたデパート
のイメージでした。
私が幼い頃、家族で横浜に買い物に出かける時、当時は高島屋がほとんど
でしたが、その時私と弟は必ず ”よそいき”を着せられて行ったもの
でした。そして一通りの買い物を済ませると、そのあとは屋上近くに
ある大食堂で小さな国旗の立ったお子様ランチとイチゴパフェを食べ、
バラの包装紙の高島屋の紙袋を提げて帰ることが当時の我が家の最高の
ステータスでした。憧れと言っても良いイメージを持っていたものでした。
あれから何十年か経ちましたが、デパートは一体どうしたのでしょう。
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昨近のデフレや個人の価値観の多様化で客は高級品ばかり求めているとは
決して言えませんが、閉店や統廃合が進む各地の老舗地方百貨店に伴い、
地方商店街も引きずられる様に地盤沈下し、お客の行きつく先は郊外に
大きく横たわる大型量販店で、金太郎アメの様に同一規格商品の大量販売
だけが消費の下支えになっているのです。こういった現象で、地方では東京
と同じ物が揃うけど地域の活性は大きく失われているのです。地方に限らず
都心でさえもこの傾向が最近は著しいのです。
都心でも地方でも、その地域全体を活性化させていた百貨店はどこへ行って
しまったのでしょう。
私は今でもデパートの包装紙や紙袋のパワーはあると思います。お中元や
お歳暮を贈る時はやはり老舗デパートから贈りたい年配者は多いと思うの
です。若者だけでなく年配者にももっと目を向ける事も大切なのです。
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それぞれの店が伝統を守りつつ、安易に安売り店をフロアに入れる事なく
オリジナル商品の開発を広げるなどして、クオリティーを大事にしながら
堂々と価格競争に挑むべきだと思うのです。
百貨店のステータス性は今や中国人の観光客の支持により、特に高級品は
成り立っている様です。観光バスで大勢で乗り付け、一人が何十万、何百万
という買い物をしていくらしいのですが、その理由はデパートは品質の
良い物がたくさんあるというイメージがあるからだそうです。それにより
全体の売上は落ちていても高級時計等の売上は伸びているのです。
中国バブルの影響もあるでしょうが、中国の人達がクオリティーを気にする
買い物をし、方や日本人は低価格ならなんでもアリという風潮の激安店等で
野菜の詰め放題に必死になっている姿を見ると、なんだかやりきれない
気持ちに私はなるのです。
日本人のこの様な買い物に対する考え方が、百貨店凋落の原因である事も
確かでしょう。
それでも冒頭に書いた様に百貨店の魅力はまだまだあると思うのです。
今でも家族で買い物をしてファミリー大食堂へ行けば、パフェだって、
パスタだってトンカツも刺身だってある。靴やカバンやスーツのマイスター
が常駐して、壊れたりした物でも丁寧に直してくれる。こういったデパート
ならではの良さを再認識させる様なアピールをもっとして欲しいのです。
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安売り店の導入で集客しようとするなんて自らを見失っているとしか思え
ないのです。これではデフレに拍車がかかるばかりです。
今の時代、流通は複雑です。
それでも良い物を適正価格でちゃんとした所で買いたいと思う人達も
たくさんいるのです。そういった人達を顧客として捉え、顧客満足度を
上げていくことこそ百貨店の使命だと思うのです。
どんなに時代の流れに押し流されようとも、私が子供の頃にイメージ
していた伝統あるプライドは失って欲しくはないのです。
そろそろ高齢化社会に足を踏み入れる年齢になりつつある私のデパートに
対する率直な意見でした。
投稿者 sweetroad : 15:18
2010年05月13日
センスについて考える・・・アキラのこぼれ話
毎回このブログでは私の個人的な趣味や考え方で物について書かせて
頂いておりますが、今回は ”センス”という漠然としたものについて
これまた私の独断と偏見で書かせて頂こうと思います。
よく会話の中とかで ”あの人はセンスがいい”とか ”センスが無い、
悪い”なんて言葉を耳にします。一体このセンスって何でしょう?
洋服やファッションに限らずいろいろな使われ方をする、このセンスと
いう言葉。野球の解説などでも、「あの選手はバッティングのセンスが
いい」とか 「守備のセンスがいい」という様な言い方も良く聞きます。
会話の流れの中では、なんとなく理解出来るような、それでも良く考えると
なんだか良くわからない様な....。
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ただファッションに関して言えるのは日本人の90%以上の人が、自分は
センスがイイ、と思っているということです。それもただ漠然と...。
だからこの正体不明のセンスにもレベルの高い低いがあると思うのです。
ファッションのみならず何事においても基本というものがあり、すべて
それを踏まえた上でのアレンジの仕方でセンスは分かれるのです。
例えば男のファッションや洋服の着こなしには特にベーシック=基本が
大切になるのです。私の個人的な考えを言わせてもらえば、基本が出来て
いない男の着こなしは目立ったり、インパクトはあるかもしれませんが、
必ずしもセンスがイイ、カッコイイとは言えないのです。
基本を理解出来ている人の着こなしはどんなアレンジにも対応でき、
ドレスアップ、ドレスダウンがさりげなく自然にできますが、基本が
わかっていない人の着こなしはどこか違和感がありバランスが悪いのです。
私達が社会を生きていく上で、九九や円周率等の基本的な知識が必要な
様に、男のスタイルも基本を忘れてはいけないのです。
どんな名文でも基本が出来ていない誤字や脱字ばかりのものは、やはり
その価値は落ちるのです。男のスタイルにはその誤字や脱字が面白い、
という意見も解りますが、しかしやはり基本が出来ていないアバンギャルド
はどうしても異端児でしかなく、それは悲しいものなのです。基本の上に
あってこそのアバンギャルドなのです。
つまりは、数学でも公式を知らなければ三角形の面積も円の面積も答えを
導きだせない事と同じなのです。
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センスがイイ、と言われる事は今の時代、頭がイイと言われる事と同じ位
の褒め言葉だと思います。
そして基本を学んでさえおけば、人が避けて通りたくなる様な着こなしでも
気負わずそれに挑戦して勝利することも出来、周りの評価も上がるという
ものなのです。”あの人センスいいネ”と。
じゃあその基本て何でしょう...。
男のファッションの基本について、20年間アパレルで洋服の企画、生産、販売
をしてきた私にあえて言わせてもらえば、それはアメリカン オーセンティック
トラッド、ブリティッシュ トラッドの二つに尽きると思います。
この二つのスタイルの歴史や流れを理解していれば物全般に対するクオリティ
の見極めも出来る様になり、自らの年齢にマッチした物を選択することも、
内面的なものを表現することも可能になると思うのです。
今の男性ファッションの流れのなかで、どのジャンルでもこの二つがベースと
なって回っていることは間違いないのです。
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最近私が気に入っている言葉で
「楷書を熟知して、草書で生きる。」
という言葉があります。
筆で字を書く時、くずした文字をバランス良くサラサラと書ける人は、しっかりと
した文字を書かせても上手いという意味です。
50代の私は今、この言葉の様にものの道理や基本をわきまえ、気負わず涼しげな
生き方をしたいと思い、センスの良い歳の取り方をしたいと思う、今日この頃
なのです。
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ファッションも生き方もセンス良くありたいと....。
投稿者 sweetroad : 15:36
2010年05月06日
男を磨く・・・アキラのこぼれ話

風薫る五月、ゴールデンウイークも終わり、さあ今日から仕事だー!
という人も多いと思います。
その五月の澄んだ青空とはうらはらに、今日もオヤジがグチります。
つい先日テレビで、今女性の間で ”女子磨き”という行為が流行って
いるという特集をやっておりました。まあ女性といっても女子高生から
二十歳位までの女子ですが、なんでもそれによると、自分でノートを作り
ダイエットの目標と進捗状況を書き込んだり、洋服、アクセサリー等の
ファッション関係でも自分の気になる物や欲しいものをノートにつけ、
自ら管理していくという事らしいのです。
へえー、と思いながらも本来は男を磨くとかに使われる ”磨く”という
言葉なのに、いよいよそこまで女子が侵略して来たか、という思いに
なりました。
そもそも磨くとか研ぎ澄ますという行為は、無駄な部分やいらない部分を
そぎ落とし大切で必要な所を魅力的に見せたり、使える様にするという
意味です。言葉としての ”磨く””研ぎ澄ます”とかって何か危険な
男の匂いがしてきます。先をギラギラに尖らせたり、自分が映り込む程
光らせたりすることを連想させ、そのデンジャラスなイメージが男に
ピッタリだったのです。
男が魂を込めながらキュッキュとこすり、いろんな想像をしながら、
一心不乱に磨く、これアブナイです、危険です。
つまりは男の為のキーワードだった訳です。
それが最近の女子が、こういった意味を解っているのかどうかわかりま
せんが、自らにかぶせてこの言葉を使っている。うーん、恐るべき感性
だなあと感心してしまいます。
男を磨くとか研ぎ澄ますと言う事は、一に集中力、二に集中力、例えば
野球でいえば、ツーアウト満塁カウントツースリー、ここで打たなきゃ
男じゃない、ここで打たなきゃ赤っ恥という場面に自らが追い込まれた
時にこそ意味を持つのです。
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つまり、ヘラヘラ笑いながらバッターボックスに立っていても、最後の
最後、ほんの一瞬に見せる集中力で男の真価は問われる訳ですから、
その為に鍛錬しろ、精進せよ、という事なのです。
男として自らをボアアップし、ここぞと言う時に力を発揮させる為の
下準備といえるかもしれません。
いざという時の為に準備を怠りなくして、ここぞという場面で普段からは
想像もできない様な力を発揮する。これ、相当カッコイイです。
これはもう磨くしかないでしょう。
男の磨き方や研ぎ澄まし方は人それぞれあると思います。
知識を蓄え様々な問題を涼しい顔でクリアーしていける為に。又バンプアップ
して大切な人を守る為に。
男の磨き方はいろいろあるのです。
自分なりの磨き方を考えてみるのもイイんじゃないかと思います。
「又、めんどくせえ事言ってるなァー」とか思っている男子諸君。
それならまず、米でも “研いで”飯食ってから考えるというのも、今回は
アリにします。
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それでもまだ「考えるのがめんどくさい!」という男子は......、
はーァ、なんか今回は自分で書いて自分で疲れるグチでした....。
投稿者 sweetroad : 15:14
2010年04月29日
イイ季節になりました・・・アキラのこぼれ話
「果報は寝て待て」
幸運は人の力ではどうする事も出来ないのだから、焦らず
時機の来るのを待ちなさい、という先人の教えです。
しかしながら、だまって窓の外をながめていただけでは
果報どころか猫の子一匹さえヒョイとはやって来ません。
そこで、
「人事を尽くして天命を待つ」
そうです、幸運は人の力でつかみ取る事が出来る、という
考え方です。
全く逆の考え方の様ですが、後者の方がなんかイイ感じです。
だって、ポジティブだもの。
人事を尽くして......なんて大げさじゃなくても、とりあえず
外に出て行動してみようと思ったりするイイ季節になりました。
良くカメラの本なんか見ると、一人で旅に出て相棒にカメラを
持って、そのカメラでその時々に感じるものを切り取ってみよう
...みたいな事が書いてあったりします。
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それじゃ、ひとつ私も....という訳で、先日コンパクトカメラの
ローライ35を買いました。ドイツ製のローライ35は珍しいし、
究極のコンパクトカメラですよ、との周りからのススめと、
ドイツ車に乗ってるんならコレっきゃないですよ、という私の
弱点を突く決めゼリフについつい乗せられ、購入に至った訳ですが
これがまた手にしっくりくるというか、小さいくせにカチッと
決まるその操作性は抜群で、さすがローライと思わせ、カメラに
詳しくない私でも、これはイイゾという事が解りました。
コンパクトなのに重厚感溢れるその存在感とレンズのカールツァイス
が私に突き刺さり、まるでロレックスを買った時の様な満足感が
ありました。
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よーしこれを財布や携帯と同じ様に常に身につけて、いい写真を
撮るゾー、と妙にテンションが上がりました。
とりあえずこれで準備は出来たし、コイツで花でも、空でも雲でも
何でも撮ってやるゾー....たぶんそういう時にはなんか出会いとか
があったりするから、イイ女との出会いもあったりして...などと
カメラ一つで私の得意の妄想に火が点いたりする訳です。
しかし準備は整ったのに、肝心の私が最近出不精になっており、
特に昼間はカメラを持って出掛けるという行為になかなか到達しない
のです。ローライはいつも車の中でお留守番状態....。
アーァもったいないなァ...。
そんな状態ですから、今の私は言うなれば
「人事を少し尽くして、果報は寝て待て」って感じなのです。
全くポジティブはどこ行ったんだヨ、って突っ込まれそうですが...。
まあ昼間はそんな感じですが、夜ともなれば「人事を尽くして.....」
の通り、幻の女が出会いを待っているかもしれない夜の街へと
飛び出して行く私なのでした。
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投稿者 sweetroad : 15:58
2010年04月24日
ビジネスエリート・・・アキラのこぼれ話

つい先日、何かの雑誌でアメリカと日本のビジネスエリートを
比較する特集がありました。それを見ると日本人は、とにかく
仕事第一でとても良く働き、アメリカのエリート達は家庭第一で
常に余裕がある様な感じがしました。
しかしながらそんな余裕がある様な、アメリカのビジネスや
カルチャーをリードしている人達の出勤時間は日本人より相当
早い様です。しかも組織内でのステータスが高くなればなる程
その傾向は顕著になります。
例えば新人ルーキーが眠い目をこすりながらオフィスにたどり
着いた頃には、上級副社長はもう国際電話で100万ドルの決済を
指示していたり、チーフプロデューサーはもう次の新作映画に
GOを出していたりするのです。
そんな彼らこそが本当のハードワーカーなのかというと、実は
そうではなくて、反対に彼らの退社時間はこれまた判で押した
様に早く、ステータスが高ければ高い程その傾向は顕著になる
のです。当然家族揃ってのディナーには欠席などした事はない
わけです。
これぞアメリカのビジネスエリートの姿勢、とはいえなんだか
見習いたい様な、どこか間違っている様な。まあこれもアメリカ
の一面です。

翻って日本のビジネスエリート達はどうでしょう。
私の高校、大学の二年先輩で最近D通の取締役の局長になった人が
います。私の友人には中小企業の跡取り社長や中企業クラスの
取締役は結構いますが、その中でもD通の局長は一番のエリート
と言えるでしょう。もちろん能力もあったでしょうが、私の知る
限りその人は、大学を卒業してからそれこそ馬車馬の様に朝から
夜中まで営業の仕事をこなしていました。そして人間には必ず
訪れる厄介事、病魔との闘いも乗り越え、ここまで上り詰めたの
です。そして現在も多忙な日々を送っているとの事でした。
アメリカと日本のこの温度差はなんなんだろう、と思う時、国民
性?風土習慣?どっちがいいのか私には良くわかりません。
今の私の様に、割合気ままに仕事をさせて頂いている立場から両者
を見ると、これはまあどっちもどっち、五十歩百歩かなという
感じがするのです。アメリカでも日本でも大変な努力の上に今が
あるビジネスエリート達のストレスのかかり具合は同じ様に思う
のです。
今日も私は気ままに愛車に乗り仕事に向かう訳ですが、午前中も
遅い時間になるといろいろなクルマに出会ったりします。
「うーん、最近のマスタングのオープンはフロントウィンドーが
寝過ぎてるなあ....。」とか、
「オーッ、インパラじゃない!俺も20代だったら乗るネ。」とか、
「となりのメルセデスは...オー、タテ目のSLのオープン
じゃん。歴史的名車で通勤、イイねえ。どんな奴が乗ってんの
かな?レストランのオーナーが家に向かう時間じゃないし..、
旧車のディーラーか?あっ、ビジネスマンだ。ロレックスのサブ
してんじゃん。ウーン、コイツは相当のやり手だな。」とか。
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そうです。今の私にはこういう時間の方が大事なのです。
人生を生きる上で人の価値観はさまざまです。私もその昔ビジネス
エリートを目指した時期もありましたが、生きていればいろんな事
があり今では全く興味もないのです。
どっちが良いとか悪いとか、生き方の正解は一つではないのです。
アメリカと日本のビジネスエリートの比較なんていう愚にもつかない
様な事を考えていたら....、
となりのSLはもう見えなくなっていました。
投稿者 sweetroad : 13:52
2010年04月15日
桜も散って...アキラのこぼれ話
この春、新入生、新社会人となった人達は、四月も半ばを迎えまわりの
環境にも慣れ始めた事と思います。
新しい世界に入って行くという事は大きな希望にあふれ、これからの
自分の将来に対しても大きな夢を描いている事でしょう。
しかしながら、待っているのは夢や希望だけではなく、負けや挫折かも
しれません。
この時期になると、私も32年前の四月、大学を卒業して日本橋のアパレル
メーカーに就職した時の事をいつも思い出すのです。
大抵の会社がそうだった様に、私も三月末からの研修期間を終え、丁度
今頃、四月の中旬にはすでに毎日夜の九時頃までの残業の日々を送って
いました。
思い描いていたファッション業界の仕事とはかけ離れた、アパレル倉庫
での商品整理や仕分け等の体力仕事の毎日で、一日に何百ケースと入って
来る段ボール箱との格闘でした。
大学時代、運動部で四年間を過ごした私は、体育会では当たり前ですが、
四年の時は完全に怖いもの知らずのお山の大将でした。
それが就職した途端、まるで大学一年の時に戻った様な生活に相当とまどい
相当落ち込みました。
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五月に入ると、もう辞めたくて、辞めたくて、仕方がありませんでした。
そんな私が、それから20年その会社に勤め続けた訳ですが、何故辞めずに
続けられたのでしょうか?今でも自問自答を繰り返してもはっきり答えは
解りません。まわりの暖かい励ましで頑張ろうと思った事も何度もありました。
しかし入社して最初の頃ははっきり言って社会の事が全く解っていなかった
という事が、自分の気持ちを不安定にしていたと思うのです。
一年目には一年目としてやっておかなければならない事があり、二年目には
二年目の、五年目には五年目としてやるべき事があるということがやっと
理解できる様になるまで、やはり六~七年かかったのです。
会社組織や社会の仕組みがわかる様になり、そして九年目頃には役職も付き、
責任が付いて回る様になる時、私もそうでしたが人間はその時が一番やる気と
力が出るものなのです。
会社組織にいればいろいろな事があり、自分の意にそぐわない事も多々ありました。
それでもそういう社会の仕組みを理解することで、その後も失敗や成功を
くりかえしながら二十年間いたそのアパレルで、十四~五年は忙しかったけど
本当に充実した日々を送れたのです。
昨今の就職難を乗り越えた、新社会人の方々。
今、私が書きつづった様に社会で待っているのは負けや挫折かもしれません。
しかしそれでもその度に、何回でも立ち直ればいいのです。
青年期の挫折など、人生を左右するものなんて一つもありません。
失敗し、挫折してもとにかく一歩前に踏み出せば、そこには全く違う景色が
見えて来るのです。
又、失敗や挫折して苦しくなったら、本を読んだり、音楽を聴いたり映画を
見たりして、心を豊かにすることで生きる意味が見えてきたりするのです。
頑張って下さい。
せっかく、就職しても三年以内の離職率が大変多いと聞いたので、
こんなことを思い出しちょっと書いてみました。
オヤジの戯言メッセージでした。

投稿者 sweetroad : 15:15
2010年04月08日
パパ ヘミングウェイのバブルバック・・・アキラのこぼれ話

アーネスト ヘミングウェイ。言わずと知れた20世紀のアメリカを
代表する小説家です。
その簡潔な文体は、後のハメット、チャンドラーへと続く
ハードボイルド文学の原点とも言われています。
1899年 イリノイ州オークパーク(現在のシカゴ)に生まれ
、医師だった父親に幼少期より釣りや狩猟、ボクシングなどの
手ほどきをうけ、生涯その生活スタイルは影響をうけました。
そして青年期には行動派として、スペイン内戦や第一次大戦にも
積極的にかかわって行き、その経験をもとに「誰がために鐘は鳴る」
「武器よさらば」を発表するのです。

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29歳の時、南フロリダのキーウェストに移り住み、
ヘミングウェイの生涯の友となるジョージ・ブルックス、
チャールズ・トンプソン、ジョー・ラッセルらと
酒と釣りの日々を過し、執筆活動も続けていきます。
身長6フィート3インチ(約190㎝)の長身に分厚い胸板をし、
顔中髭だらけの優しい眼差しはアメリカ人が好む豪放磊落を
イメージさせ、自らパパと呼ばれるのを好んだといいます。
出かける時は洗い立てのシャツと半ズボン姿で、しかも
シャツの裾はズボンの外に出した格好でどこへでも出かけたそうです。
それでもひとたびスーツ姿になれば、上品なイギリスの
カントリーマンを彷彿とさせる様な渋さでした。
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パパは身の回りの物や洋服にもこだわりがあった様で、
アバクロのサファリジャケット、ブルックスブラザースのスーツ、
ルイヴィトンのトランク、パーカーの万年筆、モレスキンの手帳、
LLビーンのビーンブーツなど、自らの選択でそれらを使いこなし、
そして腕時計はロレックスのオイスターバブルバックを好んでしていたのです。
自宅で執筆する時も、大物のカジキを釣り上げた時も、
目尻に皺を寄せて女性の写真を見ている時も、
パパの腕には革ベルトのシンプルなバブルバックが、
その逞しい腕に巻かれていました。
これらのパパの物の選び方は単なるオシャレという以前に、
自らの内面から滲み出る知識や教養のもとに
選ばれた物なのだと私は考えるのです。
1954年パパは「老人と海」で、老漁夫の孤独な闘いを通して
人間の尊厳と男の生き様を描きあげ、ノーベル文学賞を受賞します。
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しかしながら戦争と二度の航空事故による後遺症により、
その体格からは想像も出来ない躁鬱病に悩まされていくのです。
自らのその体調を気にしてか、1961年6月パパは年下の友人A・Eホッチナーに
こう言っています。
「思い通りに生きられないんだったら、生きる意味なんてないんだ。」
事実パパはそれまで思い通りに生きて来ました。
何作ものベストセラーを世に送り出し、戦争では英雄になり、
4人の妻をめとり、3人の息子をもうけ、一生の間酒を飲み続け、
釣りや狩猟などで世界中を走り回ったのです。
そしてその年1961年の7月、パパは使い慣れたライフルで自らの頭を撃ち抜き、
61歳の自身の人生に幕をおろしたのです。
私にはパパのその時の気持ちは解りませんが、それまでの彼の生き方や
考え方は年齢を重ねるごとに理解出来るのです。
「自分らしく」と。
パパ ヘミングウェイが書いた何作ものベストセラーよりも、
彼のその生き様の方が私にはインパクトが強いのです。
「本来、男はこうあるべきなんだ」と。
その昔、私の大好きなバブルバックをヘミングウェイも
好んでしていたという事を知った時、なんだかすごく嬉しかった事を
思い出しました。
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投稿者 sweetroad : 14:25
2010年04月02日
ゼロ ハリバートンに思う・・・アキラのこぼれ話

「大は小をかねる。」アメリカの基本的な考え方です。
そして、物はタフでなくてはならない。
これもアメリカ人がものを選ぶ時のプライオリティーNO.1です。
例えば、クルマ。70年代位のアメ車なんかは、
日本人から見たら”そこまで大きくなくったってイイんじゃないの?”と
思う様な7メートルもあるフルサイズボディーと、
7000CCもあるBIGブロックのV8エンジンを搭載していました。

これはトランスポーターとして車を使う場合、
荷物が多くなった時小さい車だと積みきれない。
2回往復するより1回で済ませた方が合理的、という発想です。
V8エンジンにしても、プラグの2本ぐらいぶっ飛んだって残りの6発で
”人と荷物を移動させるという最低限の役割りははたしてくれる”
というこれまた大雑把な発想なのです。
そんなアメリカ人の国民性が旅行カバンに選んだのが
「ゼロ ハリバートン」だった訳です。

大事な契約書が入った仕事の書類やら、自分の着替えやらを
雑多に放り込んで雨ざらしにしても、大切な荷物を濡らさず
汚さず守ってくれるカバンが欲しい。
こんなワガママな要求に応える為にこのゼロハリを自作した
創業者には今でも多くのファンがいる様です。
そのファンが、とかく「ゼロハリは壊れない。」
なんて言うんですが、これは誤解です。
ゼロハリバートンだって壊れます。
ぶつかればヘコムし、リムが曲がれば隙間もできますが、
ただ中身を守るという道具としての最低限の役割りは果たすのです。
ボルトが1本飛んだって残ったボルトが何とかプライバシーを守る、
このタフさにファンが多いんだと思うのです。
1960年代から続くアルミボディーのアメリカらしいそのスタイル。
使い古されたスーツケースには古いステッカーが
たくさん貼ってあったりして、それが剥がれかけてたり
キズだらけになっていたりするゼロはやっぱり魅力に溢れています。
その存在感とタフネスぶりが男心をかきたてるのです。

いざ使うとなると重いし、持ち手のプラスチックで手はすぐに痛くなるし、
置いてあれば場所もとるし、一見役立たずの時代遅れ者のようですが、
眺めていると”やっぱりイイなあ”と思ってしまう。
それはこのシンプルなカバンにアメリカのポリシーが凝縮されて
詰まっているからに他ならないからなのです。
「ゼロ ハリバートン」...眺めているだけで
60〜70年代のアメリカが見える様な気がします。
投稿者 sweetroad : 14:33
2010年03月26日
EPISODE−1・・・アキラのこぼれ話

このブログでも何回も書いておりますが、自他共に認める古い物好きの私はアンティークの時計、ライター等の他に旧いクルマも大好きです。
旧いクルマは当然の事ながら、最新のテクノロジーを駆使した現代車両より劣り、故障はするし、止まるし、燃費も悪かったりする訳ですが、そのスタイリングや雰囲気にどうしても惹かれてしまうのです。しかしながらこの微妙な男心はなかなか女性や子供には理解されないのが現実です。
それは20数年前の6月のある日の事です。当時、銀座のM百貨店の販売をしていたA子と6時30分にSONYビルの前で待ち合わせ食事に行った時の話です。
その日はA子と二度目のデートということもあり、“今日は絶対決めるゼ!”と私は朝から相当気合い入っておりました。愛車の1970年式の280SEの旧いメルセデスもその日の為にエンジン関係はもちろん、暑い時には効きの悪いエアコンも完璧に仕上げ、外回りもシュアラスターの一番高いワックスでビカビカに磨き上げておりました。そしてその日は横浜まで食事に行く予定でしたので、カセットテープのミキシングを駆使し、ユーミンと山下達郎の曲をフェードインフェードアウトで編集しその間に波の音まで入れるという手の込んだテープも完成していました。
”よ〜し、これで今日はカンペキだろう!横羽線に入ったらこのテープをかけて、っと.........。”
もう頭の中一杯に妄想をふくらませ、ついでに下半身もふくらませておりました。

当時私が勤めていた日本橋の会社を6時ちょうどに飛び出し、SONYビルの前に着いたのは6時20分でした。A子はまだ来ていない様でしたので、私はSONYビルの斜め前あたりにクルマを止めました。銀座の街を行く人達からの、このクルマに対する熱い視線が痛いくらいに私に突き刺さり、しばしイイ気になっておりました。
”カンペキだろう!”
5分位たったでしょうか、私がイイ気になっていた所へA子が満面の笑みを浮かべ、助手席に飛び込んで来ました。26〜7歳で身長が165cm位ある細身のA子は私の好きなミニスカート姿でした。
「ゴメ〜ン。待った....?」
「ううん、俺もちょっと前にきたとこだよ。」
”カンペキだろう!”

クルマをスタートさせ、わりとすいていた銀座の道をすり抜け首都高の東銀座の入り口を目指しました。エアコンはバッチリ効いています。すでに待ちきれずにテープもかけ、A子の方を見るとこれまた上機嫌でテープの曲に合わせて小さく口ずさんでおりました。
”カンペキだろう!”
首都高の横羽線に入る所あたりでA子が私に言いました。
「風が気持ち良さそうだから、窓開けてもいい?」
「ああ...、いいよ....。」
私は余裕かましながらパワーウインドーのスイッチを下げ、助手席の窓を開けました。
「うあー、気持ちいいー!」
さらにA子のテンションが上がっているのが手にとる様にわかりました。この時の室内は最高に盛り上がり至福の空間になっておりました。テープからはユーミンの「埠頭を渡る風」が流れ、二人で口ずさみながら横浜へと向かいました。

「あれっ、雨降って来たヨ。...この窓どうやって閉めるの?」とA子。
「OK!今閉めてあげるよ。」と私。
カチッ、カチッ。.....閉まりません......。
”アレッ、ウソだろう、動かねえよ。マ〜ジかよ。”
あれ程クルマを仕上げたのに意表をつくパワーウインドーの故障です。
夕方のにわか雨とは思うものの、窓が開いたまま高速を走っている訳ですから、A子はもうすでに相当濡れております。
”うわー、どうしよう.....、”


「早く、閉めてよ〜!!」A子が叫び、
「イ,イヤ、チョ、チョ、チョットまって.....、な、なんか、ヒュ、ヒューズが飛んだみたいで.........。」しどろもどろの私。
「エエッー。どうすんのよー!!!!」
とりあえず、浜川崎の出口で高速降りて、どっかに止めて、ヒューズを直して......。それから.....。 私のモゴモゴした説明にA子は無言で前を見ていました。
夕立の様な雨だったので、4〜5分で雨は止みましたが、助手席のA子はビショ濡れでした。
「雨、上がって良かったネ....。」私はおそるおそる言いました。
「........................。」無言のA子。
”うわー、怒ってるよー。”
それでも私が取り繕うかの様に、つとめて明るく
「今日は何食べようっか?」と言い終わらぬうちに、
「....帰る!!」完全に怒った口調のA子。
「エエーッ、マジでー、......そうかー.....。」
浜川崎で高速降りて、最寄りのJR鶴見駅まで送るよ、というわたしの言葉をA子は無言で聞いていました。鶴見駅までの室内で私は彼女に謝り続けましたが、とうとう最後まで口をきいてくれませんでした。その時の室内の空気はさっきとはうって変わって私には地獄の様でした。

鶴見駅に着くと彼女はクルマが止まると同時にそそくさと降り、そのまま一度も振り返りもせずに人ごみに消えて行きました。
私はその場でヒューズを直し、ションボリしながら自宅へ向かいました。そしてその時、ほんの数時間前まで妄想で胸と下半身をふくらませていた自分がなんだかホントに情けなくなり、落ち込んだ次第でありました。それでも私は、けなげに走る愛車に向かって ”お前のせいじゃないよ。”とつぶやきました。

とまあ、こんな話は旧車乗りにはよくある事です(泣)。こういう経験を乗り越えないと旧いクルマには乗ってはいけないのです(泣)。
エピソード 1 はこれで終わりますが、エピソード 2〜3の悲惨さはこんな物ではありません。又、機会があったら書かせて頂きます。乞うご期待!
投稿者 sweetroad : 17:14
2010年03月20日
フィギアですけど....何か?・・・アキラのこぼれ話

「フィギアが好きなんです。」なんていうセリフを口にしようものなら、ちょっとマニアな人?とか、
オタクの人なのね、なんて思われて、相手の女性には一歩から三歩ぐらいススッと引かれてしまったりします。
いやー、困ったものです。
フィギアだっていろんな種類があり、それぞれが相当奥が深いシロモノなのです。AKB系のコミック系は私には
無理ですが、感情移入の出来る映画や古いアメリカのコミックのヒーロー物、そして中にはアメリカの歴史を作った
偉人達のフィギアもあったりして、出会った瞬間に欲しくなる物が結構あります。
細部にいたるまでリアルに良く出来ていて、その映画や物語が頭の中いっぱいに甦ってくる様な物や、「これが本当に
あの主人公かよ〜。」と首をかしげたくなる物や、「いったいどこが似てんのヨ〜。」とツッコミ入れたくなる様な
ヘナチョコのシロモノまで、いろいろあるけどソソられ方は千差万別です。
これらのフィギアの多くは子供向けに作られたTOYということもあり、しゃべったり光ったりするギミックのきいた
物も多々あり、まあそれはそれで楽しいもんなのです。

<MR.ピーナッツ>
このミスター ピーナッツは「プランターズ.ナッツ.エンド.チョコレート.カンパニー」のキャラクター。
イタリア人の少年がアメリカに渡って大成功を収めるアメリカンドリームの象徴のフィギア。
このキャラクターは1916年に誕生した。超希少品。

<ベンジャミン>
ベンジャミン フランクリン。彼の偉業は小学生でもご存知の通り。それよりこのメガネや、洋服、靴の色や形
のバランス。引き付けられます。私、これ欲しいです。

<ET>
高度な知能を持った宇宙人といわれても、夜道で出会いたくないタイプ。でも優しい映画だったなァ。

<ミッキー>
ご存知ミッキーマウスのトーキングマシン。早口の英語で何言ってるのかわからないけど、子供に見せたら
リアリティー持つんだろうなぁ。

<チャーリー、ルーシー>
こちらもご存じスヌーピーで有名な「ピーナッツ」のキャラクター、チャーリーとルーシーの古いバブルヘッド。
超希少な日本製である。ひび入りのハゲハゲで雰囲気抜群。枯れてます。これも欲しいです。
大人の男性でも女性でも自分の部屋に、こういった時代や歴史のある渋くて味のあるフィギアが一つでも飾られて
いたら、私はきっとその人を好きになると思います。
最後に念のため言わせて頂きますが、私はオタクではありません。
投稿者 sweetroad : 16:43
2010年03月13日
傷だらけのジッポー・・・アキラのこぼれ話

ジッポー収集におけるカテゴリーの中にベトナムジッポーというのがあります。
ベトナム戦争当初の1960年代初頭、戦地に派遣されたアメリカの兵士達が自分達のジッポーを現地の業者に持ち込んで好みのマークやメッセージを彫ってもらったのがベトナムジッポーの始まりです。
錆びて古びて傷だらけの姿で、そしてベトナムの職人達が彫り込んだ独特の絵や文字が特徴の、なんとなくスサんでいて感傷的なこのベトナムジッポー。
戦地の激化につれて兵士の間で人気を呼びますが、1972年からのアメリカ軍の撤退によりベトナムに取り残され眠っていたものを、1990年代に入ってアメリカの一部のコレクターが目をつけ、ベトナム国外へどんどん持ち出して一気に人気に火がつきます。
一時は日本各地の露店などでも売られていましたが、その後、潮が引く様に姿を消してしまうのです。その為60〜70年代のベトナムジッポーは今では大変な希少品になっている訳です。
広く市場に出回っていたベトナムジッポーには、なんとなくヤサグレた兵士達のスサんだ心が伝わって来る様な、雰囲気や味のある物がたくさんありました。
蓋などに恋人の名前や地名、自分が戦地に赴任した年号なんかが彫られている物も多く、裏面には戦争に対する批判のメッセージや自虐的な詩が彫り込まれたりしていました。
こういった他人の感傷はなかなか伝わりにくいものですが、これらのジッポーを手にするたび、戦地を駆け抜けて来たそのハードなたたずまいに私はいつも「嗚呼....。」とため息が出るのです。
ベトナムの街をほろ酔いでフラフラしてて、こいつを見つけた時の兵士の喜び様が目にうかぶ。逆さにすると隠し絵になっている。¥9800
「自由ってヤツはその為に戦った者にはわかる。守られているだけの連中には絶対にわからない!」このメッセージは現地加工品の代表的デザイン。¥12000
「ああ..。神様。ボクには爆弾を当てないで....。」祈りにも似たメッセージがもの悲しい。¥9800
「戦争は地獄だけど、本物の戦闘ってヤツはクソ野郎だぜ!」戦地での兵士の魂の叫びだ。¥9800
平和ボケしている今の日本。こいつらを手に入れて60年代のアメリカの兵士達の気持ちや心に想いを馳せてみるっていうのも悪くないと思います。
またこれで禁煙出来なくなっちゃうなあ..........。
投稿者 sweetroad : 19:05
2010年03月05日
メガネを選ぶ・・・アキラのこぼれ話
この三月、私は5◯回目の誕生日を迎えました。
50も半ばにさしかかろうという年齢になると肉体的にも精神的にも”あれっ?”とか”こんなはずじゃ....?”みたいな事が多々あらわれます。
老眼。知らずに忍び寄ってきたこの現象。本や新聞を読んだりする時、知らないうちに目から随分遠ざけている自分に気づいた時、ヤバい、なんとかしなくてはと焦ります。私と同世代の人達も同じ様で、先日もなにかの雑誌で私と同じ年のサザンの桑田佳祐氏も「老眼がひどくなって、耳毛がはえてきた。」なんて言ってました。まあ耳毛はともかく、みんな同じ様な悩みがある様です。
そこで老眼鏡を探しに行く訳ですが、これが又”いいね”という奴がなかなか見当たらない。アメリカの渋いオヤジがしている様な鼻メガネは、鼻の低い日本人には似合わないし、東国原知事みたいにかけるのもなんかイヤだし。まして私の様に近視で老眼だとこれはもう遠近両用しかないわけです。
やっぱりメガネ一つ作るにも高級感があってカッコイイ物が欲しいけど、どんな奴がいいかなあって考えていたら、ありました、ありました、渋くてかっこいい奴が。それも当店に!
遠近両用には特にベストマッチの1970〜80年代のデッドストックが、セルフレームやメタルフレーム合わせて100本以上。そしてそれらがオール¥3000圴一なのです。中にはドイツ製のローデンストックやマルヴィッツといった、当時は10万円位していた物も混ざっており、自分の好みに合えばメッチャお買い得品も多数含まれております。
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高級感のあるちょっと渋めのフレームをお探しの方。一見の価値ありです。
こういう渋くてカッコいいメガネフレームを見たら、きっと若い人達も「オレも早く渋いメガネが似合うオヤジになりてえ〜。」っと思う.........はずないか......。
投稿者 sweetroad : 13:19
2010年02月26日
再びミニカー・・・アキラのこぼれ話

ミニカーって不思議な存在です。本来は子供の為に生まれたオモチャなのに、どういう訳か大人も夢中にさせてしまうのです。かくいう私も本物のクルマはもちろん、ミニカーも大好きです。
そしてそれはいかに本物に忠実に出来ているかではなくて、いかにミニカーらしくあるか、それが大事なポイントなのです。
子供の頃オモチャ箱には必ず入っていたミニカー。私も友達同士で自分のコレクションを見せ合ったり、持ってるクルマの性能自慢をしたりして結構熱くなって2~30台位集めたりしていたものでした。でもそのうち興味の対象が他へ移り忘れられた存在になって、たまに親戚の子供にあげたり、どっかいっちゃったり。最期は結構悲惨な結果で、その一生を終えていたミニカー達。
それでも大人になってたまに机の大掃除なんかして、引き出しの奥から古ぼけてハゲハゲのミニカーがころがり出てきて再会した時、自分の想像の世界や夢をふくらませてくれた古い友達みたいなミニカーがとても懐かしく、嬉しくなったりしたものでした。
そんな時はとりあえず雑巾でゴシゴシやって机の上の隅っこにちょこっと飾ったら、なんか一台じゃ寂しいかなって思って少し仲間を増やそうかな、と又私の物集めの病気が再発したりなんかする訳です。
こういったミニカーも他にもいろいろあり、やはり古いアンティーク物も存在します。私も最近ではそちらに興味が移っている訳ですが、今回ここに紹介するクルマ達はみんなそれぞれイイ味出している物ばかりです。
子供の為に作られたミニカーが、何十年という時代にさらされて、人間と同じ様に味とか風格とかが滲み出て、こういう枯れたイイ味になるのです。

<ロールスロイス>
シルバーレイス1950年代
英国DINKY製
グレー×ベージュ
¥8000

<メルセデスベンツ>
300SEクーペ1960年代
フランスDINKY製
レッド内装ホワイト
¥6000
(私、昔これに乗っておりました。)

<メルセデスベンツ>
350SL1970年代
ドイツMARKLIN製
ブルーメタリック内装ホワイト
¥6000
(私、今これの500に乗っております。)

<ニッサン>
初代シルビア1960年代
ヨネザワTOYS日本製
ワインメタリック
¥35000

<トヨペット>
コロナ1960年代
アサヒTOYS日本製
コーラルピンク
¥10000

<ルノー>
フロリダ1960年代
英国コーギー製
ウイローグリーン内装レッド
¥5000

<日野>
初代コンテッサ1960年代
大盛屋チェリカフェニックス日本製
ブラウン
¥50000

<日野>
コンテッサクーペ
アサヒTOYS日本製
ライトブルーメタ内装ホワイト
¥40000

<リンカーンコンチネンタル>
観音開き1960年代
大盛屋日本製
ワイン×ホワイト内装グリーン
¥10000
……..ヤバイです。私、又マジではまりそうです。
投稿者 sweetroad : 14:21
2010年02月20日
<シェーン カムバーック>・・・アキラのこぼれ話

ワイオミングの緑深い山並みに向かって、馬に跨がりゆっくりと去って行く男に小さな男の子が大きな声で語りかける。そして少しの沈黙のあと、「シェーン.....。...カムバーック!....。」とさらに大きな声で叫ぶ。
私の大好きな「シェーン」のラストシーンです。
今回このブログで初めて映画の事を書いてみようと思いますが、その一発目がなぜ「シェーン」だったのか。それは私の考える男の美学がこれに集約されているからなのです。
西部劇の醍醐味は基本的にラストシーンにあると思います。それらの主人公はみんなガンマンでどこか影を背負って生きている流れ者。無口で生き方が不器用で、だけど本当は強くて銃の早撃ちは天下一品。そして事件が治まったあとは一人その場を立ち去って行く。これが西部劇の王道です。そしてそれらの西部劇はアメリカの決して長くはないけれど誇り高き歴史を再確認させ、これからも忘れてはいけない、という事をスクリーンで再現したものなのです。
この「シェーン」もワイオミングの開拓農民達の村へ流れ着いたシェーンが、その農民のひとりジョースカーレットの家にしばらく厄介になる訳ですが、そこで農民達が悪徳牧畜業者のライカー一味の嫌がらせををうけている事を知ります。そしてそのライカー達に農民が一人また一人と殺されていくのを見かねて最後にはシェーンひとりでライカー一味の待ち受ける酒場へ乗り込み、一味全員を撃ち倒し、そして静かにその場を立ち去るという物語です。

アランラッド扮するシェーンがスターレットの一人息子のジョーイに接する時のやわらかい態度や語り口と、悪漢一味と戦う時のそのストイックなまでのガンプレイには男なら誰しも、こういう生き方をしてみたい、と思うのではないでしょうか。
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1953年パナマウント映画製作でこの年のアカデミー賞撮影賞受賞のこの「シェーン」。私は何度も見ておりますが、その度に大きな感動に包まれ、”男の教科書として正しい”といつも思うのです。ヴィクターヤングの主題曲「遥かなる山の呼び声」の余韻も忘れがたく、とにかくアランラッドが実にいいです。

間違いなく名作です。男なら必ず泣きます。

投稿者 sweetroad : 19:01
2010年02月12日
チャレンジスピリットと年齢・・・アキラのこぼれ話

ここ何回かのブログでは何だかオヤジのグチみたいな話が続いておりますが、今回もまた一つ..........。
「草食系男子」なる言葉が最近、巷からよく聞こえてきます。
なんか嫌な言葉です。この言葉には女子からバカにされても何とも思わない女々しい男子の姿が垣間みられ、男子たる者の尊厳や、若い男子特有のバイタリティーやチャレンジ精神といったものが微塵も感じられないのです。
別に肉食べなくってもいいけど、そういったスピリットは若い男子に持ち続けてもらいたいのです。
危険をおかす事だけがチャレンジの意味ではないし、成功の確かでない事に挑む事だけがチャレンジの意味ではないと思うのです。今まで自分がしたことのない行動を自分を信じて行う事。それがチャレンジの第一歩と思うのです。
例えば、小学校までの道順に、大きな犬がいていつも吠えられるから遠回りして別の道で学校へ通ってた小学三年生が、意を決して、怖いけど今日はそっちの道で行くぞと決めたとき、彼は立派なチャレンジャーなのです。小さな事や他の人から見れば何でも無い事でも、そういう気持ちや心と連動したアクションがチャレンジなのです。

私も50を過ぎ、肉体的にも精神的にもままならない事が増えてきていますが、いつもそういう気持ちは持ち続けたいのです。
若いという事がすべてではない、と教えてくれたのは誰だったろう。経験やチャレンジを繰り返し、成功、挫折......人生の喜びと悲しみを知った者はやさしくなれると思うのです。そして経験の作り出す余裕には若さもかなわない、と自分に言い聞かせながら、日々を過ごしていきたいと思う今日この頃の私なのであります。
今回もサラっとグチってみました..............。

投稿者 sweetroad : 16:10
2010年02月05日
便利なツールに考える事・・・アキラのこぼれ話
年が明け、2010年も早や一ヶ月が過ぎましたが相変わらずのデフレスパイラルによる低価格競争のため、福袋しか売れない百貨店やバーゲンしか売れない専門店といった、消費者の価格だけの選択により流通マーケットは青息吐息が続いております。


昨今の日本を席巻するエコブームもそれに拍車をかけ、エコ=安い物、エコ=手間のかからない物、めんどくさくない物、といった間違った図式が出来上がっている様な気がします。
買い物という行為に夢とか、気持ちの高揚とか、作り手の考えとかは全く関係のない低価格というだけの選択。又、買い物に限らず、すべてにおいて、めんどくさい物は排除され様としているかのような世の中の風潮。
例えばメール。ビジネスや相手との簡単な確認事には非常に便利なツールである事は言うまでもありませんが、最近では男女の思いを伝える手段にもメールでOKなのだそうです。

”それって絶対、手紙でしょう。”っと私は思うわけです。
メールで”好きだ、愛してる。”って言われても私の心はときめかないのです。
字の上手い下手とかいう以前に、便箋を選び、相手を思いながら一字一字書き進めて行く。出来上がった手紙をきれいにたたんで封筒に入れ、そして切手を貼って出してくれた、その行為に私はしびれるのです。

懐かしい人、親しかった人との手紙のやりとりでは、過去のお互いの関わりや思い出に包み込まれながら、懐かしい顔、優しかった顔を思い浮かべつつ、したためて行くと思うのです。
今の日本はこのメールと手紙の関係が全てを表している様な気がします。便利なツールと手間のかかる物、この二つは対極にある物ではなく、共存すべきものと考えます。その場面に応じて使い分ける知恵が生き方を豊かにすると思うのです。
携帯で世界の名作を読むより、ゆったりとした自分の時間の中で名作に浸りたいと思うのは私だけでしょうか?
快適と快楽は違うのです。
久しぶりに懐かしい人に手紙をかいてみてはどうですか.........。

投稿者 sweetroad : 17:45
2010年01月29日
物の値段と価値・・・アキラのこぼれ話

今、世の中はエコ、リサイクルといった言葉が飛び交い、エコなら何でもOKという風潮がある反面、エコ商品と銘打った物の大量生産、大量破棄やリサイクルという名のもとに、捨てられたペットボトルを大量のエネルギーを使い、又同じ様な物を作ったり、??と思う事が結構あります。

じゃあ私の考えるエコロジーってどんな物なのかっていうと、要は物を捨てない、土に帰るまで使おうって事だと思う訳です。無駄な物を作らない、使わない。そのためには私には長く愛せるカッコイイ物がどうしても必要な訳です。
自分のスタイルに物が馴染み、愛着がわき、どうしても捨てられない。たとえ自分には必要が無くなっても、誰かが愛してくれそうな物や、たとえ時代の流行に流されたとしても、再度手にとってみるとやっぱり捨てられない。そんな魅力溢れる物に私は囲まれていたいのです。
いい物を長く使うという生活をしている人って素敵です。
何年か前に私の友人のクルマの修理工場で、俳優の三国連太郎氏にお会いした事がありました。冬の寒い日でしたが彼は愛車の古いMGのオープンカーでその工場へやって来ました。


結構くたびれた、しかし程よく身体に馴染んだハリスツイードのヘリンボーンのコートに厚手のウールのマフラーを無造作に首に巻き、やはりヘリンボーンのハンチングをかぶり、そしてその年齢から滲み出る渋い風貌にゴーグルがわりのサングラスをかけ、車から降りて来ました。
もうそれだけでも相当シブいのにその左腕にはなんとアンティークロレックスの金無垢のプリンスをしていたのです。

”オシャレな人だなあ,,,,,,,。”
とりあえず、持ち物全てのクオリティーが高いのです。
時計好きの私はそのプリンスの話題で彼とひとしきり盛り上がった訳ですが、その時の彼の物腰の低い態度や丁寧な話し方はインテリジェンスを感じさせ、そのシブいいでたちと相まって会話が終わる頃には私は完全に彼をリスペクトしていました。
その数日後、私が又その工場へ行くとなんと又三国氏とお会いしたのです。前回同様フォレストグリーンのMGのオープンに乗り、ツイード系のファッションで身を固めておりましたが、その時の左腕にはプリンスではなく、小ぶりの普通のステンレスの手巻きのオイスターをしていたのです。

「今日はプリンスではないのですか?」と私が訪ねると、
「ボクはねえ、このボーイズのオイスターが大好きなんですヨ。可愛くて、愛着があってねえ,,,,,,。」少し無精髭のはえた端正な表情をくずし微笑む三国氏。
”なんて素敵な人なんだろう,,,,。”
300万位するプリンスより、愛着のある、おそらく15、6万位の少し文字盤の焼けたオイスターの方が好きだと言ってカッコ良く使いこなしている彼は、クオリティーの高さを見極められる眼と知識を持った人生の達人だと思いました。
<要はその物がどのようにその人にかかわっているかが問題なのです。値段とか流行の問題ではないのです。>
私は三国氏が無言でこう言っている様な気がしました。
<物の値段と価値は自分が決める。>
私には彼ほどの人生経験や深い知識もないけれど、自分が愛する物に対して優しい気持ちと、こういう考え方をして生きて行きたいと思ったのでした。
ROLEX/ロレックス オイスター ロイヤル 1940年代 ¥280,000 →商品ページ
投稿者 sweetroad : 16:31
2010年01月22日
シグネット35とボルシーB2・・・アキラのこぼれ話

形がかわいくて、思わず買ってしまいそうになる。
ギミックが面白そうで買ってしまいそうになる。
こんなカメラの選び方は本当は間違っているのかも知れません。
でも私の様にカメラに詳しくない人間が、そのルックスから入っても、それはアリだと思います。
きっと ”カメラといえば日本製”と最新一眼レフのユーザーは言うでしょう。又、クラッシックカメラの愛好家は ”カメラはドイツ製”と主張すると思いますが、あえてアメリカ製のこの2型がどうしても心にササります。
カメラに詳しくない私が私なりの角度からこの2台を見て、古い資料でちょっとだけ調べた事とあわせて、この2台の魅力を話させて頂きたいと思います。
まずはシグネット35。アメリカ製でデビューは1951年という事ですから、今から58年も前になります。アメリカチックなデザインとアルミダイキャストのボディの鈍い輝きがイケてます。レンズは44ミリで名前はエクター。この名前、コダックの最高峰のレンズだけに使われていた名前だそうで、つまり写りの方も安心していいって事です。ただ最新カメラのAE、AFと違い自分で露出を決めてピントを合わせる必要があります。面倒って言えば全くその通りですが、自分で露出を決めてピントを合わせて撮った写真がうまく撮れた時の嬉しさも、忘れてはならないこのカメラの良さだと思います。
ボルシーB2は1953年頃、シグネット35とほぼ同時期に作られています。どちらも当時のアメリカを代表する国民的カメラだったそうです。たしかにアメリカの匂いがプンプンしますね。シグネットに比べてこのボルシーはちょっとずんぐりしています。デザインしたのはスイス生まれのジャック.ボルスキーという人で、この人ムービーの世界では知らない人はいないボレックスや複雑構造のアルバなんていうカメラを手がけた人だそうです。つまりこう見えても由緒正しい訳です。軍用カメラも存在するそうです。
と、まあこんな感じでしか説明出来ずに申し訳ありません。
ただ、この2台についてもっと短的に言えば、
:モノとしての存在感がある
:最新のテクノロジーに振り回されない
:ちゃんと写る
:適度な重み
:納得のプライス
:普通のフィルムが使える
:持ってる人が少ないから人とかぶらない
っという感じになるでしょう。
百聞は一見にしかず。是非一度見に来て下さい。
詳しい使い方はスタッフが懇切丁寧に説明させて頂きます。
形から入る人には特におススメします。
結構、イイっすよーん!
投稿者 sweetroad : 14:47
2010年01月15日
はじめてのコカコーラ・・・アキラのこぼれ話
私がまだ小学生の頃、近所に私を結構可愛がってくれる、不良っぽくってカッコイイ高校生のお兄さんがいて、その人に連れられて本牧へ行った時の事です。そのお兄さんの先輩という人達と待ち合わせて5人で行ったのですが、その人達が又みんなカッコイイ人達でした。私もマセガキでしたが小学生は私一人で、当然会話には入れずその人達の話を耳をダンボにして聞いていると、
「こないださあ、米軍基地の家へ入り込んでシャツとジャンパーかっぱらってきた。」とか、
「オレはクツもってきた。」
とか、こわい話をしていました。
本牧の山手警察の向かい側は、当時AREA−1(エリアワン)と呼ばれ、高いフェンスに囲まれた米軍居住区でした。こちら側から見えるフェンスのすぐ向こうは400mトラックがある運動場になっており米軍の人達が数人でトレーニングをしていました。

私は初めて見る本場アメリカさながらの軍人達のそのランニングする時のウエアに子供ながらに息をのみました。
”カッコイイー”
フェンスにかけた手にも力が入りました。
霜降り杢グレーのスウェット上下に靴はコンバース。それも黒のチャックテイラーか白のワンスター(あとで名前知りました)がほとんどで、トレーナーの襟元にはタオルが巻かれ、胸にロゴの入ったのを着てる人もいて、それぞれがトレーニングをしていました。
当時、小学生の私はトレーニングウエアといえば運動着でしかなく、学校で決められた物を着用するのが当たり前と思っておりましたので、目の前の光景がものすごく自由にあふれて見えました。
”ああ,,,,さっきお兄さん達がかっぱらって来たって言ってた服や靴は、こんなヤツの事なんだ,,,。”
私は妙に納得し子供心に自分も欲しくなったのを覚えております。
トレーニングをしていた黒人や白人あわせて4、5人のアスリート達が少しの休憩に入る為こちら側に歩いて向かって来た時、フェンスの内側で彼等を見ていた女性達が一斉に彼等に駆け寄りました。一人の選手に2、3人が群がり、抱きつく様にして20人位の人の輪ができました。
「あの人達はだれなの?」私はお兄さんに聞きました。
「黄金町(こがねちょう)あたりのパン助だよ。」
”....パン助かあ....。”(私はこの時意味わかりませんでした。)
女性達は選手の腕にぶら下がりながら
「アメリカ連れてってー!」と口々に叫んでおりました。
”パン助かあ”

選手達は首にまいたタオルで額の汗をぬぐいつつ何かを飲んでおりました。ビンに入った黒い液体を本当においしそうに飲んでいました。そうです、それがコカコーラです。
まだ日本には輸入されて間もない頃で私は見た事はあってもまだ飲んだ事がありませんでした。その頃の私達子供の飲み物といえばワタナベのジュースの素を水に溶かして飲む位でした。
その時お兄さんの先輩の一人がどこからかコカコーラを2本持って来ました。
”うわあー、コカコーラだ!”
その先輩は歯で栓を抜き、一口飲むと順番に回せと目とあごで合図しました。最後に私のところへ来たコーラを飲んでみるとなまぬるく、
”うわー、薬くせー、なんだこれー。”
むりやり喉の奥に流し込みましたが、全然おいしくありません。
”アメリカ人は、こんなの好きなんだあー”
これが私のコカコーラ初体験です。
今ではたまに無性に飲みたくなる味ですが、最初はこんな感じでした。後に発売されたドクターペッパーやミスターピブ、チェリーコークなんかもありましたがやっぱり私はコークが今では一番好きです。
その後その時のお兄さんの先輩達はみんなアパレル関係の仕事に就き、今では業界でも有名な社長達になっております。
写真は店内にある1960−70年代の販売機(2台あります)やグッズ類です。グラス類も豊富にありますので普段使いにいかがでしょう。
投稿者 sweetroad : 18:28
2010年01月05日
ジュークボックスの思い出・・・アキラのこぼれ話
1960年代には割とどこのスナックにもあったジュークボックス。
アメリカ製のカラフルなネオン管の中をバブルリングが流れる派手な物とは違い、若干地味めな物が店の片隅にあったりしたものでした。
前回このブログにも書きましたが、私が学生の頃にたむろしていたスナックMとやはり店にあったジュークボックスの事を今日は書きたいとおもいます。



そのスナックMは私の大学の近くの雑居ビルの地下1階にあり、店内はちょっと薄暗く店の飾りもアンティーク調の古く枯れた物が置かれ、妙に落ち着く店でした。
サッちゃんと呼ばれるママ一人でやってる店で、ママは年齢不詳。ただ想像すると30−35歳位の髪の長い、笑顔の中にもちょっと影のある不思議なヒトでした。
店は午前10時から13時まで、午後は5時からたしか午前1時頃までだったと思いますが、私たちはいつも4時前後から店に入り、一杯やっておりました。店には古いジュークボックスがあり当時はツノダヒロの ”メリージェーン”やそのB面の ”アイラブユー”、石川セリの ”八月の濡れた砂”やプロコルハルムの ”青い影”なんかを良く聴いておりました。カドが破れ、クッションのバネが弱くなった椅子や、少しガタつくテーブルでも居心地が良く、閉店まで居る事もたびたびありました。金のない学生相手ですからサッちゃんもいろいろサービスしてくれて、すごく安かった様に記憶しています。
ある日の午後、4時頃ですがいつもの様に友人と二人でMに行きました。店内に入った瞬間になんかいつもと雰囲気が違って、重たい感じがしましたが、まあいつもの様にジュークボックスで ”メリージェーン”をかけ、
「サッちゃん、ビールね!」
と声をかけました。
返事がありません。
薄暗い中、彼女の方を見ると、カウンターの奥の椅子に腰掛け、テーブルに肘をついて手で顔をおおっていました。
「サッちゃん、ビー......ル....」
と再度言いかけた私に、手で顔をおおったままの彼女が
「今は、私の時間だから!!」
と、いつになく強い口調で言ったのです。
その時の彼女は、なんとなく疲れ、もの悲しく見えました。
”なんかあったんだナ..”
私は友人と顔を見合わせ、
「ゴメンね。又あとで来るから....」
いつも能天気だった学生の私はなんだか大人の世界を垣間見た様な感じをうけ、地下からの階段を上りました。
うしろの店のトビラからは、”メリージェーン”が流れていました。
ジュークボックスというと必ずこの出来事を思い出してしまいます。
今、私は思い出に耽りつつ、瑞穂埠頭のSDでハーパーをロックでやりつつ、いしだあゆみの
”ブルーライトヨコハマ”を店の古いジュークボックスで聴いています。

当店内にあるジュークボックスです。FREE PLAY(無料)ですので、お気軽に聴きにおいで下さい。

投稿者 sweetroad : 17:44
2009年12月22日
もうすぐ Xmas 2・・・アキラのこぼれ話

今年もクリスマスがやって来ました。子供の頃はどうして毎年その頃になると、あんなにウキウキしてたんだろうと思います。もう、目一杯、想像力をふくらませ、ホワイトクリスマスを夢見たり、アメリカの家庭の様にパパがママに花束を、子供達にはたくさんのプレゼントを買って来て、家族で素敵なパーティをする事を夢見たり。現実にはなかなかそういうXmasはなかったけど、毎年ワクワクしたものでした。
・・・そんなワクワク感とは無縁の、花もケーキもツリーもない、今から30数年前の、私がたしか大学3年の時のクリスマスイブの話です。
その日も大学近くのスナックMにいつもの仲間が集まっていました。大学はすでに冬休みで授業はないのに、みんな運動部の連中だったので練習のために学校へ来ていました。
私がMへ行ったのは3時半頃だったでしょうか、すでに4人の仲間がそれぞれ練習を終え、テーブルにはビール瓶が2、3本ころがっていました。しばらくしてその頃私とつき合っていたTちゃんもやって来て6人で昼間から飲んでおりました。

「・・・今日ってさあ、深夜礼拝があるんじゃなかったっけ」
誰かがポツリと言いました。
私の大学はミッション系で、イブの夜は毎年10時から深夜ミサが行なわれていました。
「久しぶりに行ってみようか」
集まっている仲間は全員付属校上がりの連中でしたので、礼拝は授業の一部で年中やっておりました。Tちゃんもミッション系の女子校だったので礼拝は学校で日課だったと言っておりました。
という訳で9時半に又この店で待ち合わせて、深夜礼拝に行く事に決まりました。
「・・・なんかTちゃん遅せえなあ。早くしねえと始まっちゃうゾ」
時計はすでに9時50分を指しており5人で飲んだビール瓶がテーブルにころがり、みんなもう水割りやロックを煽り、そうとうイイ気分になっておりました。今の時代の様に携帯電話なんていう便利な物は無く、連絡も取れずにみんな水割りを煽りながらただひたすら待っていました。

「ゴメンネ。遅くなっちゃって・・・・・・」
11時に近くなった時、Tちゃんが来ました。
「どうしたんだよ。何かあったのかよ。」
みんなの疑問にTちゃんが訳を話始めました。
実はTちゃんは渋谷駅で変な男にからまれ、つきまとわれて、ようやく振り切ってこっちへたどりついたとの事でした。
「なんだよ、そんなヤツとぼけてこっち連れてくりゃ良かったジャン。オレがブン殴ってやったのにヨ−!」
レスリング部のKが大声で言いました。(コイツは相当酔ってました。)
まあ、なにはともあれみんな揃ったので遅くなったけど礼拝に行ってみようと言う事になりました。

キャンパスの中のチャペルは静まり返り、すでに誰もいませんでした。
「もう終わっちゃってるからダメだね。」
でもとりあえずチャペルの扉を引いてみると誰もいないはずのドアが何と開いたのです。
「じゃあ礼拝だけはして行こうか。」

中に入り、私たち男5人は右側の一番前の礼拝机に行き、ひざまづきました。Tちゃんは一人左側のマリア像の前へ行きひざまづいていました。
”あっ、やっぱりマリア様の方なんだ”
私は意味も無く嬉しくなりました。

1分、2分位たったでしょうか、シーンと静まり返り、冬の冷たい空気がキーンと張りつめたチャペルの中で、各々がだまって手を組みお祈りをしていた時、正面の大きな十字架の左にあるドアからチャプレンがそっと
「そろそろ、よろしいでしょうか?」
と優しく声をかけてきました。
そのチャプレンは私たちがチャペルに入ってからずっと見守ってくれていた様でした。私たちは酔いも醒め、それぞれ御礼を述べ、チャペルを後にしました。みんなだまっていたけど全員がなんとなく清々しい気持ちになっていた様に思います。すっかり体が冷えきったので又スナックKに戻り朝方まで飲んだことは言うまでもありません。

その出来事を思い出すと、そのチャペルでの空気の冷たさ、におい、静けさが私の体の中によみがえって来るのです。
全然、派手でも、華やかでもないクリスマスの思い出ですが、そんなイブも良かったかな、と今思っています・・・・・・
投稿者 sweetroad : 19:07
2009年12月21日
もうすぐ X'mas・・・アキラのこぼれ話
クリスマスは毎年、年に一度です。その365分の1の日に何をプレゼントするか。
長年、苦楽を共にし、相手が何が欲しいかわかっている人や、「好きだったら、何でもうれしい!」なんて言ってくれる彼女や彼氏がいる人は幸せ者。
大抵の人は何をプレゼントしていいのかわからず、あっちをウロウロこっちをキョロキョロ。
でもそれが一番楽しい時なんです。

なかには、知り合ってまだ一週間、「ココが勝負でしょ!」の男子は気合い入ります。相手の顔を思い浮かべながらいろいろ迷う訳です。
しかしここで、できる男子はちょっと違います。この一週間にかわしたわずかな会話や彼女の持ち物、ファッションから瞬時に相手の好みを感じ取り、気負わずさりげなくプレゼントを渡す訳です。
これでもうこの後に訪れる幸せな時間が約束された事は言うまでもありません。
さて、プレゼント選びに困っているあなたに、ちょっとだけお手伝いします。
<ミッキーウオッチ>![]()
(老若男女を問わず、みんな大好きミッキーマウス¥2980)
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<エッソ、ミシュラン貯金箱>
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(もちろん1本は自分用に---。各¥48000)
<ヴィトントランク>
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(渋いLVのトランク。上級者です。¥68000)
そして私と同じ、今年も予定のないあなた。
クリスマスの夜、静かに本でも読みながらラジオの深夜放送で豊潤な時を過ごすのも気分かと.....。できればアンティークラジオで....ね。
<アンティークラジオ>
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(¥28000~)
PS. 先日、私のブログを見てはるばる大阪からカレッジリングを買いに来てくれた、愛ちゃん。どうもありがとうございました。今年のプレゼントは決まりましたか?
投稿者 sweetroad : 19:50
2009年12月11日
買い物と勇気の相関関係・・・アキラのこぼれ話
・・・いつからだろう。
世の中、日本全体が挑戦する勇気より安全の確保が賞讃される様になったのは。

アメリカで「お前は勇気がない。」という台詞はこれ以上ない屈辱の言葉です。
覚えていますか?
映画”バック・トゥー・ザ・フューチャー”で主人公のマーティーが「チキン!」と言われキレたことを。
その言葉一つで腕力には自信のないマーティーが大男のビフに立ち向かっていきました。
勇気を持って自分の人生を生きるという事は、例えば買い物にもつながります。
一念発起、夢に見る程、本当に欲しかった物を手に入れると心が豊かになるからです。
欲しい物が自分の頭の上の方にある様な高価な物だからと、それを見て見ぬふりをし、安易に手の届く物でお茶をにごして自分自身を納得させていたり、手に入れられないのは不景気のせいにしたりしてあきらめる事は、自分の心を豊かにさせるどころか、貧しい気持ちに自らさせてしまっていると思うのです。
生意気にも高校生の時からロレックスを腕にはめ、普通のサラリーマンなのに25歳の時からメルセデスを乗り継ぎ続け、29歳の時には手巻きのデイトナとオレンジ針のEX-2を普段使いにして、周りの心の貧しい人たちからメッチャメチャにいろんな事を言われ続けた私ですが、その時一番欲しい物を身につけたり使ったりしていた時の気持ちは本当に豊かで幸せでした。
無理は承知の上!(無茶とはちがいます。)
一年で一番テンションの上がるこの12月。
是非、自分の今一番欲しい物をGETしてみて下さい。
明日からの人生観がきっと変わるはずです。
ちなみに私の今一番欲しい物は金ムクのインターです。(こいつヤバいです。)

投稿者 sweetroad : 15:09
2009年12月05日
昔日のアメリカン・・・アキラのこぼれ話
いつもアメリカの雑貨等の紹介をさせて頂いている私ですが、今日はそれらの雑貨にふれているうちに思い出した、遠い昔日のアメリカチックな話をさせて頂こうとおもいます。

それはもう20数年前の話。
横浜の本牧でジーンズショップをやっていたN氏の家へ行った夏の暑い日の話です。
N氏は当時40歳過ぎの顔やスタイルは全く普通の人でしたが、中身は完全なアメリカ人、という人でした。
その日はショップで待ち合わせ、助手席からのN氏の道順に従い、山手の竹之丸の家へとクルマで向かいました。山手は急な坂が多く、私の古いタテ目のメルセデスはヒイヒイ言いながら坂を登って行きました。

低い植え込みが途切れた、門の様な所を入り、庭らしきところの端っこにクルマを止めました。

「前のオーナーはアメリカ人だったんだよネ。」というN氏の言葉を思い出しました。白く塗り直したペンキが剥げ、木がささくれたいい雰囲気の古い日本家屋はこちら側に向いた縁側の扉が全て解放され、風が通り抜けており、縁側の前のわりと大きな庭には少し伸びた芝生と芝刈り機が無造作におかれておりました。
クルマを止めた庭の反対側にはヤシの木が2本と、錆びでザクザクの白とワイン色のツートンのVWタイプ2(ワーゲンバス)がN氏の数本のロングボードやショート、ダイビング用品等の倉庫がわりとなって置かれていました。

私は息をのみ『ムムッ,,,,。やるな!!』と思いました。
しかし私が本当のパンチを食らったのはこのあとでした。
縁側に近づき、中を覗くとスラッとした日焼けした素足の両足を前に投げ出し、ベージュのチノのショーツとオレンジ色のタンクトップを着た、年の頃なら22〜3歳のサーファーカットのかわいい女の子が、柱に背をもたれて小さなトランジスターラジオを聞いていました。

『何を聞いているの?』と私。
『FEN。(フェン)』と彼女。
”あれっ、ヤバいな”
『あっちのオーディオセットで聞けば?』と私。
『ううん。これでいいの。こっちの音が好きだから,,,,,,,,。』
ウワー。やられた!完全にヤラレました。
そこにいたN氏の彼女とおぼしき美少女も日本人なのに中身はアメリカ人でした。私は50数年生きて来てあの時の美少女ほどのインパクトを女子から受けた事は後にも先にもありません。
その後の事はよくおぼえていませんが、ここまでのやりとりは今でも鮮明に甦るのです。この出来事が私をさらにアメリカ好きにさせ、そっちの道につっぱしり始めさせた事は言うまでもありません。
ハア,,,。なんか書いててせつなくなりました。今日はこのへんにしておきます。
FEN,,,,,,FAR EAST NETWORK(極東放送)
1997年よりAFN(AMERICAN FORCE NETWORK)となり現在もAM810で横田基地より配信されています。当時、仲間うちではヤンキー放送と呼んでおりました。もちろん全て英語。

投稿者 sweetroad : 18:44
2009年12月03日
ポップでキュートなアメリカンデザイン・・・アキラのこぼれ話

いつも思う事ですが、なんでアメリカの物ってあんなにカッコイイんでしょう。
例えば日本のコンビニの袋だと持ち歩こうなんて気はおきないけど、アメリカの物だと喜んでぶら下げようと思っちゃいます。それで又さらにそれが古くて味のある物だと、その魅力は数倍、数十倍になりますね。
特に1950〜60年代、1ドル=360円だった頃の強いアメリカ、豊かなアメリカはアンティークでもデザインの宝庫と言えるでしょう。
ハミルトン、ブローバ、エルジン等に代表されるゴージャスなウオッチ類。

RONSONに代表されるバラエティーに富んだオイルライター類。


キャデラックに代表されるフルサイズの豪華なクルマ達。

今の日本のエコブームの対極に有る物ばかりの様ですが、そのデザインの優秀さから味の出るまで長く使える物が非常に多いと思います。
私は個人的にはアメリカの洗剤の箱や缶詰のラベルのデザイン

にもワクワクしてしまう人間ですが、男性も女性も一度これらの古いアメリカのウオッチやライターを手にしてみてはいかがでしょう。
投稿者 sweetroad : 22:05
2009年11月29日
カレッジリングに見るアメリカ・・・アキラのこぼれ話

今回はアメリカのリングについて、少し書いてみたいと思います。
アメリカのリングといえば、カレッジ・ハイスクール・ミリタリー・etc・・・いろいろなカテゴリーがあります。色とりどりの石の入った大きめのリングはその存在感から、していると非常に目立ち、目を引きます。
最近では渋目の芸能人や、クロムハーツ等のシルバー系にあきた人がよくしているようです。
これら存在感のあるリング達は、いろいろなシチュエーションの中でその存在感をアピールしてきました。
例えば、映画「プリティーウーマン」のリチャード・ギア。
青年実業家として、運転手付きのメルセデスのリムジンを仕事に使い、OFFタイムにはロータスを自ら運転。高級スーツに身を包み、左腕にはロレックスの金ムクのデイデイト。
そんな人生の成功者の代表みたいなリチャードの左手にはやはり、出身大学のカレッジリングが輝いていました。

また、例えば、軍艦キティーホークから降りて来た黒人海兵隊員。屈強な体にミリタリージャンパー。そして、ピカピカにみがきあげた靴を履き、左手に真っ赤な石の入った金ムクのミリタリーリングをしているのを見た時、そのカッコよさに思わずクラッとしたものでした。

写真を見て下さい。

大量に取り揃えられたアメリカンリング。
もちろんレディスも豊富に揃えてあります。

何年経っても飽きのこないデザインと、程よく枯れたリング達。一度手にして見て下さい。きっとその存在感にやられてしまうと思います。
投稿者 sweetroad : 13:29
2009年11月27日
あらためて周りを見てると・・・アキラのこぼれ話

今年もあと1ヶ月で終わろうとしています。
世の中は相変わらず不景気が続き、なんとも皆さん元気のない年の瀬であります。
ところで、11/1にオープンした『SX70 by SWEETROAD』も1ヶ月が過ぎました。
この1ヶ月、社員達の試行錯誤に次ぐ試行錯誤の結果、商品やディスプレーの変更等、毎日いろいろとやってきました。
売り場の雰囲気やイメージが変わったと同時に、いろいろな物があらためて目の前に並び、これらの物にまつわる思い出が頭の中をよぎったりしました。
物好き人間(特にアンティークや古い物)を自認する私としては、古く枯れたアンティーク物やヴィンテージ物を目にする度、頭がクラクラするくらいヤラレてしまう物が多数ありました。
これから、それらの一部をカテゴリー別に紹介していきたいと思いますが、私個人の価値観が、枯れた物やヤレた物が大好きという人間ですので、その辺りの評価の偏りはご容赦願いたく思います。
*憧れだった、カルティエガスライター*
カルティエガスライター、なんて初めに書くと”何だよ!オイルじゃねぇのかよ”とか”ライターの話ならまずZIPPOでしょ”とかいう声が聞こえてきそうですが、あえてカルティエガスで進めます!
写真を見て下さい。

何という数のDUNHILL・デュポン・カルティエのオールドモデル達!
これでもまだ半分程度しか出していません。
この中のシルバーのカルティエ!これに私はヤラレているんです。

¥9,800
実はこのライター、私がまだ大学の1〜2年の頃(1975〜1976年)欲しくてたまらなかったモデルなのです。当時このタイプのカルティエは12〜13万円という高額プライスで学生の身分に私には、なかなか手に入れる事が困難でした。
何故このライターにそんなに思い入れがあるのかというと、なんとこのタイプのカルティエを友人が持っており、そいつでいつもうまそうに煙草に火をつけていたからなんです。面と向かっては何も言いませんでしたが、心の中では”チクショー!オレも欲しいナァ”と、いつも思いながらながめておりました。
当時は運動部でいつも学ラン姿の20才そこそこの小僧が、似合うはずもない物に妙に憧れていたんですね!!
後年、私はこのタイプのカルティエを手にする事もありましたが、どこかでなくしてしまいました。それ以後、別に何とも思わなかったこのカルティエが、今回目にした瞬間にササッたという事は、やっぱり30年以上もくすぶっていたのだと、あらためて痛感した次第でありました。
投稿者 sweetroad : 12:30
