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2009年07月04日

給食と弁当1950年代〜1960年代

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小学校の頃は給食だった、(今でもそうだと思う)
だが俺たちの時代には必ず出るものがあった。牛乳です。
この飲み物が不味いのだ。(脱脂粉乳)

戦後のアメリカが敗戦国の日本に対して人道的援助らしい。
子供の栄養を考えて。
背を伸ばすため動物性タンパクを与えようと
「脱脂粉乳」という粉ミルクが提供されることになりました。

この脱脂粉乳を生徒の人数分作ったものを。
給食係りが大きなアルミのバケツで教室に運び、
ヒシャクでひとりひとりのカップについでまわった。俺もやった。

俺の記憶では「大変不味い」という思い出しかない。
俺だけでなく、ほとんどの子供達が不味いといっていました何故でしょう、
最初は、アメリカから「生のままミルク」を運ぶ予定でしたが、
船で運ぶと腐ってしまうため、脱脂粉乳という粉ミルクになったらしい。
当時の製法では、不味いものしか出来ませんでした。
今だったら絶対飲みませんね。
昭和33年(1958)より牛乳が出されるようになりました。
本当の牛乳はうまかった・・

主食はコッペパン。アメリカから提供された小麦を使い、大きくて太い、
ずんぐりしたコッペパンを作ったのです。
コッペパンは日本が作り上げたオリジナルのパンです。
これに紙に包まれたマーガリンやジャムをつけて食うのだ
これはうまかったネ・・
冬、教室には鋳物でつくったストーブがあった(燃料は石炭でした。)

「おかず」と言えば思い出すのがクジラの揚げ物です。
今では口にすることはありませんが、当時は貴重なタンパク源でした。
しょうゆ味だったように記憶している。
また、魚の肝臓をゼリー状にした「肝油」と言う栄養補助食品も
あったように思います。
給食用の食器はアルミニウム製の粗末なものでした。



中学時代になると今度は弁当だ。
この弁当で俺とおふくろとの間で毎日のように大戦争(バトル)始まるのだ。

おかずがみんな違う。入れ物もちがう。
とくに女子は可愛かったネ。
俺の弁当箱はアルミ製の(ドカベン)飯はぎゅうぎゅう詰め
これには問題は無いのだ。

問題はおかずだ。
俺のおふくろはただおかずを乗せるだけ。(美的感覚がないのだ・・)
友達等の弁当は色のバランスとか
おかずの配列とか
とにかくうまそうなのだ。

今でも鮮明に残っているのは 杉谷(同級生)が持ってくる弁当だ。
のり弁が流行ると俺ものり弁 しかしおふくろはただ海苔を乗せるだけ
(あけると海苔は弁当箱の裏側にベッタリ・・)
しかし杉谷の海苔弁は違うのだ 飯と飯の間にはさんである。
すぐおふくろに指示を出す俺・・・
すると今度は 海苔 段 段 そう海苔が二重なのだ。
(お前の家は金持ちなのか?)

今度は杉谷の海苔弁にはかつ節がふえている(ダブルトッピングだ)
味見をさせてもらう。(うまいなぁー)
すぐおふくろに新情報を報告する俺・・・
あっ、ウインナーで思い出した・・

俺のおかずのウインナーはただ焼いただけ、
杉谷のウインナーは蛸のようになっている俺はすぐに判る。
カットしているんだ。

(ちきしょう‐手がこんでるなー)お前の家は板前か??
今度は、ふりかけ、が流行る(永谷園ののりたまだ。)
ここでも杉谷と差がつくのだ。
おれのふりかけはただ飯の上にかけるだけ
(また、弁当箱の裏側にベッタリ・・)
しかし杉谷はちがうのだ
食べるときにのりたまの袋を取り出しかけるのだ。(どんなお母様なんだ??)
さらに ドンドン 毎日あいつの弁当は気になる。

俺の飯は温かい時におふくろは蓋をするので食う時は
必ず飯は、かたよって隙間ができてる。
しかし杉谷のご飯はフンワリなのだ。どう見ても美味そうなのだ・・・・
(杉谷なんでお前の飯はふんわりしているんだ。)(わからない?)だって。
すぐに聞いて来い。。
杉谷は俺の指示に従う子分だった。
次の日 報告がはいる(。ご飯が冷めてから蓋をするんだって。)
そうかぁーそんな簡単なことなんだ。
おふくろに報告すると なっ何と(自分でやれ。。)
だって飯を冷ますだけなのに
おふくろの心は冷たかった
(今日はダジャレでキメテみました。)終わり ジャン ジャン・・・・


それでは、「”昭和”の時代を駆けた時計たち」をお楽しみ下さい。


投稿者 sweetroad : 2009年07月04日 18:01